映画「デビルマン」について

かれこれ一週間近くもまえに観たにもかかわらず未だに頭から離れない恐るべき映画「デビルマン」。もちろん映画の魅力にとりつかれたのではなく、「なぜこんなヒドい映画がありえるのか?」という問いが頭からはなれないのであります。なぜ? なぜなの? さまざまなサイトやら掲示板をマメに観てまわって考えていたわけですが、やはりですね、結論としてはですね、「わざとやった」としか考えられない。あるいは、ボロボロな企画とめちゃめちゃなキャスティングに、監督が映画を捨ててしまった。マジメに考えると、そうとしか考えられない。これは皮肉とかではなく、マジな意見。

たとえば、デーモン憑依によって疑心暗鬼になって人間たちがパニックになることを表現するシーンで、ランニングシャツと短パンの肥満体の男が三人登場して、人を体重で押しつぶしたりするわけですが、このシーンなんてこの映画で期待されるシリアスさをワザとぶちこわす意図があるとしか思えない。つまり監督がヤケになっているわけですね。

また、デーモンの根城に今まさに突入しようとせんシーンで、ニュースリポーターがニコニコと嬉しそうにはしゃいでいるのは何故なのか。やはり監督が意図的に映画をツブそうとしているとしか考えられない。それを裏付けるように、直後、「全身白ぬりの人間」にしか見えない「デーモン」がこのレポーターにセクハラするようにまとわりつく(そして射殺される)。ほら、やっぱりフザけている。この後に観ることのできる、この映画屈指の爆笑シーン、KONISHIKIの「デーモンばんざーい」。このシーンではKONISHIKIはデーモンメークなどいっさいなく、いつものKONISHIKIのまま。それで「デーモンばんざーい」と棒読み気味で叫んで万歳して、機関銃で蜂の巣になって倒れるんだけど、デーモンという設定のはずのKONISHIKIが、なぜ一切特殊メイクもなく特殊衣裳も着ていないのか。答えは簡単。監督が投げているからですよ。

ショッピングモールで襲われた友人の叫びをキャッチした主人公はなぜ海へ行き、海水に顔をつけて海の中に友人の姿を探すのか(しかも海水に水をつけるのは一回だけ。あとは、沖に向かって襲われた友人の名前を叫ぶだけ)。誰の目にも奇異に映るこのシュールな光景がなぜ堂々と銀幕に展開するのか。それは監督が「こんな映画どうなろうと知ったこっちゃない」と思っているから。

こう考えると、無数にあるこの映画のおかしなシーンがなぜありえるのか、説明がつこうというものです。つまり、監督はなんらかの理由でこの映画を製作することを放棄した、あるいは意図的にぶちこわそうとした、そう考えると自然なのであります。あるいは、ある時点で「この映画をまともにすることは不可能だ」と考えた監督が、「どうせコケる運命ならわざとほころびをたくさんつくって、最大限に叩かれる映画にしてしまおう」と思うにいたったのかもしれない。

そう考えるとですね、この映画の糞さをあげつらって騒いでいる我々は、おもいっきり釣られているということになりますね。嗚呼、虚しい。_| ̄|○