漫画「デビルマン」について

「漫画」なのにカテゴリがmovieなのはこれ如何に? いや、映画がらみということで‥。

映画観終わったあとに速攻で文庫版「デビルマン」を買ったんですよ。たった5巻なので全部で2500円だし。デビルマンの漫画は青少年期に読んだことがあるんですが、結末を覚えてないところをみると、全部は読んでないようです。最初のサバトのシーン、シレーヌ、ジンメン、ススムちゃん大ショック、クモのシーンは覚えているので、5巻のうち4巻ぐらいまでは読んだのかもしれません。

読んで思ったのは、いろいろな意味で映画化が難しい漫画だなあということ。いや、映像的スケールの大きさは、このCGの時代、それほど問題ではないと思うんですよ。問題はやっぱり、プロットの粗さかな。超多忙だった当時の永井豪なので、色々なところに粗さ、詰めの甘さがみられる。これは週刊連載の少年漫画に共通する問題だと思うんですけどね。映画の方にはツッコミをたくさん入ってますが、粗を探そうと思えば、この原作漫画にもツッコミどころはたくさんある。週刊連載の少年漫画というのは、細かいところよりも大筋の勢いと説得力が最重視されるものですから。その意味、この原作漫画は勢いがある。その「勢い」の正体はなにかと言うと、やはり作者の筆力のようなものと言わざるをえない。

それだけに、これを翻案するのは難しい。映画にするとしたら「作者の筆力」なんてものには頼れないし、逆にいえば、その「作者の筆力」をそぎおとしてしまうと、この原作漫画はプロットが意外に弱いということがわかる。もちろん、これはいわゆる「ストーリー漫画」というジャンルの比較的初期のものであるので、そのあたりを差し引かないといけないのだけれど、「完成度」からすると、現在の漫画の高水準のものと比べるといかにも粗い。いや、時代のせいばかりでもないな。永井より前の世代でも、例えば白土三平のストーリー構築能力は神レベルだもんな(しかも画力も神)。やはり、これは永井自身も言っているけど、全盛期の永井はトランス状態で筆を暴走させるタイプであって、ストーリーテラーではなかったんだよね。

とはいえ、今回の映画の失敗はそういう問題ではないが。