授業評価?

どなたか研究者の日記で知った「崖っぷち弱小大学物語」を読みました。感想など。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4121501527/jeepster-22/

うーん、今いちだったかなあ‥。この筆者の勤務するEランクではありませんが、BCランクの大学の滑り留めになっている私大に勤務する新任教員としては、かなり期待して読んだのですが、実に「まっとう」なことが書かれている本で、逆にいえば、「まっとう」なことしか書かれてない本でありまして、残念ながら新しい発見はあまりありませんでした。間違ったことは書かれていないと思うので、どちらかというと支持したい本ではありますが、同時に、そのあまりに穏健な内容に「この程度じゃ生き残りにはヌルいんじゃ?」という思いと、「いやいや、これぐらい穏健な方が大学教育の良心が守られるというもの」という思いが半ばします。

気になったところをちょっと。

p86で、一部の学生が不当な授業評価をしていることを指摘し(正確には、愚痴り)、「授業とは教師と学生の真剣勝負の場である」からして、「授業中のマナーを厳しく求める教師に悪口を並べる学生は、真剣勝負の値打ちのない人間」であるとし、だから「学生から得た評価結果を100%信頼するわけにはいかない」、ゆえに「崖っぷち大学」においては授業評価なんて重視しないほうがいいと結論づけています。

その一方では、p108で、「大学が自分たちをどんなふうに見て、どんなふうに扱っているか、ぐうたらに見える学生たちは怖いほどクールにしっかり見ている。このことを決して忘れてはならないだろう」としている。

言いたいことはわかるし、正しいとは思うけど、こういう一見相反するように見えることをたった20頁をへだてて書かれると、読んでる方は「どっちやねん?!」という気になる。筆者は相反してなんていないと反論するだろうし、実際相反してないんだろうけど、そういう問題でなく、ただ単に論のプレゼンテーションの仕方として、正直、ヘタだと思う。

てゆうか、前者の論点(p86に書かれていること)は、良教員の相当数および駄目教員の全員が思っていることであり、たとえある程度の真実が含まれているとしても、ここであらためてそれを後押しする意図が個人的にはよくわかりません。授業評価はもっとマクロ的に観るべきものであって、たとえば10%の「評価する資格のない学生」が授業をけなしたからといってそれをとりたてるべきではなく、残りの90%が何を言っているかに注視すべきものであるはず。その点をちゃんと書かないで「資格のない学生」のことだけをとりたてて、「授業評価はあまり重視すべきでない」とだけ書くのでは、不人気な駄目教員が「そうだそうだ、俺の授業の評価が低いのは学生のせいだ!」と勘違いして喜ぶだけじゃないかな。たぶん、筆者はそういう意図はなくて、たぶん、つい愚痴っただけだと思うんですが、この本には、ところどころに、こういった「思いついたままをとりあえず書きました」という部分が見られて、そこがちょっと不満。

まあ、オレのガッコが「崖っぷちというほどではない大学」だからそんな悠長なことを思うだけなのかもしれないけど。

で、一方、「大学が自分たちをどんなふうに見て、どんなふうに扱っているか、ぐうたらに見える学生たちは怖いほどクールにしっかり見ている」というのはその通りだと思う。これがね、わかってないヒトが存在するんだよね。授業評価するとおもしろおかしい授業だけが評価されるようになるとか、教員が厳しいと授業評価が低くなるとか信じているヒトがまだいる。おもしろおかしくても授業の目的なり芯なりが全然みえない授業は評価されることはないですよ。また、仏の授業が即高い評価を得ることもないですよ。「内容はつまらないが仏の授業」に対するアンケートで「この授業はためになりましたか?」といった質問項目に「5」の評価をするほど学生は魂を売り渡していない。いくら仏でも内容がつまらなければ容赦なく「1」をつけますよ、学生は。学生は、駄目学生であっても、「授業のありかた」に対してはそれぞれ一家言もっているのよね。その中には、間違った「一家言」も存在するでしょうが、マクロ的に見れば、真剣に耳を傾ける価値があるもんです。とオレは思ってます。

甘いですか?

(続く)