白痴 (1951) ★★★★

director: 黒澤明
screenwriter: 久板栄二郎黒澤明

ドストエフスキーの原作は読んでおりません。その上での感想。

黒澤の初期の作品というのは多かれ少なかれ実験的で習作的な部分があるのですが、この映画もかなりエクストリームですねぃ。とにかくこの映画にはリアリズムというものがまるでなくて、舞台となる北海道は異国の地ロシアのようだし、登場人物の台詞やそれに対する反応にもまったくリアリティーがない。そう、これは非リアリスティックなダイアローグによって人間心理のリアリズムを浮きぼりにしようとした、映画というよりは演劇作品なんですね。

で、その投げつけられる台詞の非現実的なまでの重さや、映画の最初に出てくるテロップでの状況説明などによって「うわ、これを2時間46分も耐えられるのだろうか」とオレは危惧してしまいましたが、しばらく観ているとぐいぐいと登場人物に惹きつけられました。この強力な「惹き」は、演出と役者の演技の力の賜物としか言いようがない。

第一部のパーティーの場でのクライマックスは、現実的には「絶対ありえねー」としか言いようのない大芝居なのですが、それでも、主人公の森雅之と悲劇のヒロイン原節子の力によって最後まで観客を惹きつけて離さない。

また、第二部の前半、ムソルグスキーの「禿山の一夜」に乗って展開する雪祭り?のシーンは、非常に圧倒的な、悪魔的で幻想的な場面であり(「黒いオフフェ」のサンバシーンを少し思いだした)、黒いマントをひるがえして突然登場する原節子などは人間とは思えない幻のような存在感です。また、映画第二部後半での「堕天使」原節子と「天使」久我美子の対決シーンでの、ストーブが燃えさかるシーンの挿入もすごい映像力。

斯樣に演出、そして演技の力によって観客を惹きつけてやまない映画ですが、一方、映画としてのまとまりにはやはり欠けるわけで、このあたり評価がわかれるところでしょう。また、映画のメッセージが何なのかがつかみにくいのも難点といえば難点。「心があまりに純粋な男」=「白痴」の存在が結局人の生に幸せをもたらさない(むしろ状況を悪くしている?)という結末は、解釈がわかれるところで、ドストエフスキーはこの「白痴」をキリストと重ねあわせていたらしいけれども、だとしたらキリストの神性など人間の人生の改善にはさして影響をおよぼさないのではないかなどとオレは思ってしまいます。ただ、黒澤の「白痴」の久我美子の最後の台詞を聞くと黒澤は必ずしもそうは考えてなかったようですが‥。

非常に荒削りで未完成な部分がのこる映画ですが、圧倒的なパワーを持っていることは確かかと。今回は脇役の三船がすごい男前。