観終わって、かなり複雑な気持ちです‥。評判も良かったこの映画ですが、はっきり言って、あまり素晴しいとは言えない。物足りない。でも、悪い映画ともいえないし、心ある音楽ファンならこの映画をケナすことは決してできないだろう。そういう微妙な映画です。
ご存じない方のために説明申しあげますと、この映画は、モータウン全盛期のバックを支えたという、それ自体ものすごく偉大な功績を残したにもかかわらず、一度も陽の当たることのなかった人々、人呼んでザ・ファンク・ブラザーズに光を当てた映画です。
昔のレコード会社というのは、自社のスタジオを持っていたのは当然として、スタジオ付きのバンド、いわゆる「ハウス・バンド」をかかえて、シンガーをリクルートしては、スタジオ付きのハウス・バンドの演奏でレコードを吹き込んでいたわけですね。特に、黒人音楽界というのは今も昔も芸能界体質ですから、プロデューサー、コンポーザー、シンガー、ハウス・バンドという分業体制が伝統的にはっきりしていたわけです。その裏方中の裏方であるハウス・バンドの中の代表格が、いわゆる「ノーザン・ソウル」の旗手として君臨したモータウンのファンク・ブラザーズだったり、モータウンと同時期に南部を征覇していたレーベル、スタックスのハウス・バンドだったブッカーT&ザ・MGズだったり、あるいはもうちょっとあとの、70年代のフィラデルフィア・ソウルの中心レーベル、フィラデルフィア・インタナショナルを支えたMFSBだったりするわけです。
しかし、全盛期にバンド単体でシングルやアルバムを出してヒット曲もあったブッカー・T&ザ・MGズやMFSBと違い、モータウンのファンク・ブラザーズは単独でレコードを出すこともなく、一般にはまったく脚光を浴びることなく、モータウンの凋落とともに消えてしまいました。
その意味、そこに光を当てるこの映画は、非常に意義深いと思います。
ただ、残念ながら、ファンク・ブラザーズの主要メンバーの多くはすでに故人なわけですね。オレはマーヴィン・ゲイを崇拝するヒトですので、ファンク・ブラザーズのベーシスト、ジェイムズ・ジェイマーソンも当然、神扱いなんです(なぜ「当然」か分からない人はとりあえずマーヴィン・ゲイのアルバム「What's Going On」を40回ぐらい聴くことをオススメします)が、ジェイマーソンもとっくに故人。そんな中、「ファンク・ブラザーズの再結成に焦点を当て‥」という本作に、もう一つ乗り気になれなかったのも御理解いただけるかと思います。
で、結論から言いますと、この映画の再結成ファンク・ブラザーズは思いのほか元気で、その点はよかったです。折々にさしはさまれる、再結成ファンク・ブラザーズと若手シンガーとの異種格闘技もまったく悪くない。
でも、やはり全盛期のマジックを考えると‥いや、比べちゃいけないのかもしれないけど。正直、再結成ファンクブラザーズの演奏を観るなら、全盛期の貴重な映像をありったけ見せてくれた方がうれしかったなあ、と。もちろん、「全盛期」だと中心はあくまでシンガーだから、ファンク・ブラザーズの姿なんてほとんど捉えられてないだろうから、映画としては成りたたないとは思うんだけどさ。
でもね、この映画観て、ファンク・ブラザーズを知らない人がファンク・ブラザーズの素晴しさを実感できるかと言えば、できないと思うんだよね。ラストのエンドロールのバックに、マーサ&ザ・ヴァンデラスの「ダンシング・イン・ザ・ストリート」(もちろんオリジナル)がフルコーラスかかるんだけど、その演奏に耳を傾ける方が、映画全部観るよりもはるかに直接的にファンク・ブラザーズのすばらしさがせまってくる。この映画の弱さはそこにあると思う。
というわけで、どうにもはがゆい映画なのでありました。
その他、散発的コメント。
ゲスト・シンガーの人選がよくわからない。ジェラルド・リヴァート、ジョーン・オズボーン、ミシェル・ンデゲオチェロ、ブーツィー・コリンズ、ベン・ハーパー、チャカ・カーン、モンテル・ジョーダン。名前だけみると、雑魚のモンテル・ジョーダン以外はおもしろそうな顔ぶれなんだけど、映画の中で生かされているかというと今いち疑問。特に、ミシェル・ンデゲオチェロとブーツィー・コリンズはシンガーとしてフィーチャーされてるんだけど、二人とも天才ベーシストなんだから、もうちょっとベーシストとしてのからみをさせることができなかったのか、大いに不満。
ただ、ンデゲオチェロが、老いた白人ベーシスト、ボビー・バビットにインタビューして、70年代初頭の公民権運動のなかで、白人であることが逆にマイナスの経験として働いたりすることはなかったかと問いかけたのに対して、バビットはそんなことはまったくなかった、仲間はとても良くしてくれた、などと答えたあと色んな思いが去来して思わず涙ぐみ、それに対してンデゲオチェロが肩に手をまわしてさすってあげるシーンはほんと泣けた。あのシーンは、ンデゲオチェロじゃなければ引き出せなかった名シーンだと思う。
ゲスト・シンガーのパフォーマンスで一番良かったのはジョーン・オズボーン。ジェラルド・リヴァートも良かったけど、なんせオージェイズのエディ・リヴァートの息子という、正統派ソウル・シンガーとしての血統の良さがあるだけに、組合せの妙というのはないなあ、と。てゆうか、ジェラルド・リヴァートなんて今の子は知らんのとちゃうの?
対して、ベン・ハーパーはモータウンという文脈では異色なのでおもしろかったし、パフォーマンスも新鮮だった。このヒトはほんまマジメやなあ。ちょっとほほえましく思ったね。思ったよりおめめくりくりでカワイイし。
で、ラスト2曲はマーヴィン・ゲイの曲だったんだけど、そこでなんでチャカ・カーンを持ってくるかなあ。センスねーなあ。映画の構成としては、終盤で「What's Going On」を持ってきたのは構成として最高なんだけど、そこでいかにもプロフェッショナルでコマーシャルなシンガーであるチャカ・カーンを持ってきたのは興覚めですよ。そりゃ、盛り上げどころだからハズせないということで、シンガーの実力としてハズすことは絶対にないだろうチャカ・カーンを選ぶ理由もわからんでもないけど、でもねえ、あそこは絶対ベン・ハーパーかミシェル・ンデゲオチェロに歌わせるべきでしょ? たとえシンガーとして技術的にはるかに格下であるにしても、マーヴィンのスピリチュアルなメッセージに深層で共鳴できるのはこの二人しかいないやん。それをチャカ・カーンて、あんた。無難すぎ。ミシェル・ンデゲオチェロは自分の曲で「Make Me Wanna Holler」(叫びたい気持ち)という、マーヴィン・ゲイの「Inner City Blues (Make Me Wanna Holler)」(「What's Going On」収録のヒット曲)にインスパイアされた内省的な曲を吹きこんでいるだけに、是非歌ってほしかった。てゆうか、その勇気がないのがこの映画の監督の限界ですな。残念。(ちなみに、この「Inner City Blues」は、前述したジェイムズ・ジェイマーソンの稀代の名ベースフレーズが聴ける曲で、ヒップホップ世代にも無数にサンプリングされているすごい曲です。)
ま、それでも、チャカ・カーンの歌抜きで、ファンク・ブラザーズの演奏だけで「What's Going On」は泣けましたけどね。涙なしで聴けませんよ。
もう一つ文句。ラストはマーヴィン&タミー・テレルの大ヒット曲「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」。選曲はいいのよ。でもね、シンガーがモンテル・ジョーダン&チャカ・カーンって、どういうことよ? 百歩譲ってチャカ・カーンは良いとしよう。でも、モンテル・ジョーダンって‥そりゃマーヴィンに失礼だろ。モンテル・ジョーダンが下手だというわけじゃないですよ。実際、そつなくこなしていたし。ただ、平凡すぎるんだよ! モンテル・ジョーダンぐらいの実力だったらアメリカの芸能界にあと1000人ぐらいの代わりがいるっての。
最後に、モータウンに対して苦言を。モータウンは、過去の遺産を後世に伝えるという重要な作業をまじめにやってないレーベルとして有名なのですが、この映画を観て、特に、最後のモータウン25周年記念番組「Motown 25」の収録に、ジェイムズ・ジェイマーソンが自腹でチケットを買って、2階席でひっそりと観賞したという涙なしで聞けないエピソードを観て思ったんですけど、結局、ファンク・ブラザーズがちゃんとした、受けるべき評価を受けなかったのはやはりモータウン自身のせいちゃうんかと、映画を観終わって怒りに似た気持ちもわきあがってきたね。だいたいやね、番組として欠点はいろいろあったものの、死の直前のマーヴィン・ゲイの素晴しいパフォーマンスや、全盛期に突入する前夜のマイケル・ジャクソンがジャクソン5(ジャクソンズ)として再結成して往年のメドレー披露するパフォーマンス、そしてテンプテーションズとフォートップスの白熱のバトルなど、歴史的に貴重な記録も盛沢山の「Motown 25」自体が、DVDなどの形できちんと市場に流通してないって、どういうことよ? 文化に対する冒涜ですよ。モータウンの過去の遺産の権利を=すべてライノ・レコーズが管理すれば世の中どんなに良くなることか。
ということで、様々な思いが去来して、まともに評価できない映画です。ただ一つ、確実に言えるのは、この映画は「★★★」レベルの映画だということ。そして、繰り返しになりますが、音楽好きならば、心が痛むので「★★★」をつけることはできないということ。よって「★★★★」。