DVDを所有するということ、それを観るということ

オレは邪道かつ出不精な映画ファンなので、映画をDVDで良く観ます。たいていオンラインDVDレンタルでレンタルするわけですが、買うこともあるわけです。で、ふと気がつけば、DVDで所有する映画がおよそ40本になっています。

で、ちょっと考えるわけですね。映画をDVDで所有することの意味はなんなのかと。

オレは映画ファンであることの40倍ぐらいは音楽ファンなので、CDもたくさん持っているわけですが、CDを所有することとDVDを所有することは、媒体の観た目の共通点とは裏腹に全然違うわけです。なんといっても音楽というのは、他の作業をしながらでも聴ける。だから、昔から親に「あんた耳は二つしかないのにこんなにCD持っていてどうすんの!」と言われ続けてきても、まあ、シゴトしているときは常に音楽を聴いているオレなので、たくさん買ってもそれほど気にはならないわけです。

しかし、映画はちがう。映画は他の作業をしながら観ることはできない。今の生活だと、二日にDVD一本観られたら良い方。しかも固定会費制のDVDレンタルに入っているわけですから、レンタルをどんどん観ないことには損をする。買ったDVDは自然と後まわしになる。

そう考えると、DVD買っても意味ないじゃんということになりかねない。

それでも買ってしまうんですよね。やっぱり、買うという行為は一種の献身行為なわけで、経済的にみて無駄であっても購入といいう行為をあえて実行するというところにナルシスティックな、「献身」という名の自己愛を作品に対して投射しているわけです。しかもですね、定額レンタルで本数をこなした方がお徳なのをあえてさしおいて、何度も観た映画をあらためて観る、その行為にまた、ナイチンゲールチックな献身を自らのうちに感じ、陶酔したりするわけです。

なんて、しょうもないことをぐだぐだ書きましたが、それでも、好きな映画で、購入したDVDを観て、そして感じ入ってしまう、この慶びにはなかなか換るものがない。何回も観た「American Splendor」の何の変哲もないラストシーンを観て目頭を熱くしながら、そんなことを思った真夜中のオレでありました。ああ、映画って良いなあ‥。