あらすじ:
時は大正。バイオリニスト、サラサーテの演奏する「ツィゴイネルワイゼン」のSP。その音のかなたにふと人の声がまじる。陸軍士官学校の独逸語教授の青池(藤田敏八)は、友人でありおなじく独逸学者であり、かつ無頼者である中砂(原田芳雄)に聞く。「君、何か言ったかな?」「いや…」「変だな。君には聞こえなかったか。どっかで人の声が聞こえたんだが」「サラサーテがしゃべってんだよ」「何て言ってんだろ」「君にもわからんか…」。かくして夢とも現実ともつかない、この世ともあの世ともつかない物語が始まる。
リビュー:
いや、ほんと、感動した。エンドロールの段階で涙が出そうになった。
日本映画お勉強シリーズの一環として観たこの映画、最初の30分ぐらいはよくある70年代前衛映画かと思った。この手の映画にありがちなのだけど、出てくる人物、背景がみな記号的なのね。東北の寒村、閉鎖性、難しい顔したインテリ、風来坊、めくらの流し、殺し、エロス、死…それらの記号が意味ありげな風でいて意味不明につなげられていく。そんななか、原田芳雄の粗暴な存在感が記号化を拒否するように…云々とリビューには書こうと思いながら観ていました。寺山修司的世界というか。
ところが、中砂(原田芳雄)が、旅先で知りあった芸者の小稲にそっくりな旧家の娘(大谷直子)と結婚したあたりからこの映画の本領が発揮されてくる。死というか、冥界の香りが漂ってくるんだな。寺山修司的な世界だったのが、一気にデイヴィッド・リンチ的な世界に変わるのであります。と説明すると安っぽいな。スマン。
その後は、鈴木清順の独創的な、めくるめくような映像の連続。シュールレアリスム的ではあるけれども、それがめっぽうおもしろいのは、決してお高くとまった、もったいぶった世界ではなく、ただ鈴木が感性のおもむくままに楽しそうに描いている世界だから。非常にユーモア精神がある。鈴木自身も言っているみたいだけど、あくまでエンタテイメントなんですね。意味? よくわからないけど、いいじゃないか、おもしろければ。
オレが特に好きなのは最初に青池(藤田敏八)が中砂の留守中に細君が一人留守番する邸宅を訪ねるシーン。この映画はリンチの初カラー作品「ブルー・ベルベット」(1986)の6年前の映画だけど(「イレイザーヘッド」の3年後)、驚くほどリンチ的な映像で、特に、赤いちょうちんの使い方など、リンチの描く「冥界と現実のはざま」の赤い緞帳(どんちょう)そのまま。ここでぐいぐい引きこまれた。そして決定的だったのは、中砂の細君(大谷直子)の指パッチン。あのシーンが挿入されるタイミングのユーモラスさ、そしてナンセンスすれすれのシンボリズムには腰抜けたよ、ほんと。え? 今の何?って。
あとはもう清順ワールドの虜。最後までまったく目が離せない。ストーリー? そんなものいるかい! 最終的には目頭があつくなるほど感動しました。なんで感動したかって? 感動に理由なんているかい!
この映画は特設テントドームで上映されて記録的なヒットとなったそうですが、そうですね、是非是非、次は黴くさいまっくらな映画館で観たいと思います。
ところでめくらの流しの若い方の男、ブラッド・ピットそっくり。