右往左往その5:皇室典範改正問題について

政治のことを書くのは正直自分でももうお腹いっぱいなので、この問題はスルーしようと思っていたのですが、他の方々のブログを読むにつけ、ちょっと書いてみたい気になりました。

この問題は女系天皇を認めるかどうか、つまり、父親が民間出身場合、子に皇位継承を認めるかと言う問題であります(と、以前色々な方から教わりました)。愛子様は父親が皇族ですからもし即位したとしたら女性天皇だが男系なので男系維持の点に限っては問題がありません。本当の問題はそのあとで、愛子様が民間人と結婚したらその子は女系です。今回男子が生まれたから良かったものの、そうでなければ、女系の継承を認めるかどうかの決断が迫られます。

さて、この問題に関して、右往左往な観点から考えてみると、保守主義の立場であれば、伝統の保持が個の生より重要ですから、当然男系維持を主張することになります。天皇家の伝統においては、擬似的であっても「万世一系」(男系継承)であることは重要である…らしいからです(オレは万世一系の何が重要なのかよくわかりませんが)。一方、リベラリストから見ると…どうなんでしょうねえ。天皇・皇族は法的に人権がありませんから、リベラリストの論理の対象外と考えることができます。つまり「なんともいえない」という感じでしょうか。

ということで、以下はリベラリストのオレの、個人的な、そして多分に感情に走った意見です。

この問題についてオレがつくづく思うのは、保守主義というのは残酷なものだなあということです。ブログでは「男系継承を維持することがどれだけ現皇室(特に妃)への負担になっていることか」という意見が出ていますが、人間の感情としてはそう考えるのが当然だと思いますね。天皇・皇族に人権はないといっても人格はあるはずですからね。精神的にかなりキツいと思いますよ。「そんなことより伝統の保守が大切だから」と言うのは本当に残酷な意見だと思います。しかも男系継承を主張する側には何の負担も痛みもない。勝手なもんだとオレは感情論として思いますね。

ところで、今回、男子が生まれることが内々に分かる以前は、強引なまでに早急に女系容認の方向で話が進んでいましたよね。なぜでしょう? しかも保守主義の旗手のような小泉やさらに保守主義的な安倍晋三までが女系容認に流れていた。なぜでしょう? 以下はオレの完全な妄想ですが、女系継承容認が現皇室からの希望だったからと考えるのが自然じゃないでしょうかね。だからこそ、保守主義の立場から男系継承維持を主張してもおかしくない小泉や安倍が女系容認をむしろ後押ししていた、とするのが一番もっともらしいと思う。100%憶測にすぎないけど。

今回親王が生まれるまでは、男系を維持するためには旧宮家の皇籍復帰が必要となりますが、旧宮家は600年近く前に現在の皇統と別れた超遠縁で、うさたろうさんは、それが実現した場合は「ヨーロッパなんかだったら完全に王朝交替だと思う」とまで言っています。現皇室が現皇統を絶やさなければいけないという選択肢に対し、非常に辛い気持ちをもっていたことはたぶん間違いないんじゃないでしょうかね。もし自分がその立場だったら、男子が続かなかったという理由だけで超遠縁に600年続いた皇統を引き渡すのは本当に辛いと思うけどな。

今回は親王が生まれたから、とりあえず問題は先送りになったけど、すでに意見が出ているように、今度は継承問題が今回生まれた親王に重くのしかかってくるわけで、根本的な解決にはもちろんなってない。側室なんて選択肢も「男系絶対維持」と同じぐらい残酷な選択肢だし(皇室だって現代の倫理観から独立して存在しているわけではない)、正直、女系継承を認めるのがもっともまともな選択肢だと思います。