続・履修漏れ問題:他人の意見を勝手に論評

ketketさんから過分なお言葉(褒め殺し?)を頂戴して恐縮です。オレは5教科入試でしたが、世界史どころか、受験に必要不必要に関係なくほとんどすべての授業を聞いてませんでした。何していたのかは良く覚えてませんが、漫画読んだり、弁当食ったり、白昼夢を見たりしていた気がします。宿題や試験勉強もやっていたことでしょう。どうやら授業を受け身で聴くことが苦手だったみたいです。ひたすら自習してました。こういうのは本音と建前をうまく使い分けていたことになるのだろうか?…ちょっと違うような気がする。

ちなみにオレは大学に行ってもその習慣が抜けず、苦労しました。「授業」をいうものをまともに聞く習慣ができたのは大学3年ごろになってからでしょうか。

さて、この履修漏れ問題に関して実にいろいろなひとがいろいろな意見を述べておられますが、代表的なパターンを挙げて好き勝手にコメントしたいと思います。

  • 「世界史は大切だからちゃんとやるべきだ」…その通りですね。でも今はそれは問題じゃないんですね。「世界史学習は大切」と考えた文科省の指導方針がなぜここまで見事にそっぽを向かれ、破綻したのか、それが問題なんですね。
  • 「学習指導要領通りに勉強してきた生徒らは、世界史などを履修してこなかった彼らと同じように大学を受ける。そのことの不公平感もよく考えなければならない」(伊吹文科相)…えーと、世界史を学ぶことは高校生のためになるんじゃないの? だったらむしろ世界史を学ばなかった高校生が「損」をしてるんじゃないの? 不公平を被っているのは世界史をすっとばされた高校生じゃないの? …と嫌味を言いたくなりますね。結局伊吹文科相は文科省の指導方針に従えば受験にマイナスの影響が出ることを自ら認めてるんだよね。卑屈だね。情けないね。
  • 「ルールはルール、履修漏れ高校生は卒業までの半年の間にきちんと履修すべきだ」…理想論ですね。現実論としては無茶苦茶ですね。「ルールはルール」と言ったって、高校生がルールを進んで破ったわけじゃない。大人のミスでしょ。そのしわよせをよりによって受験の追い込みの時期の高校生に押し付けて「これでルールを守るという社会の基本を無事教えられた、めでたしめでたし」と言うのはまさに無茶苦茶かつ非道。
  • 「これは政治的に仕組まれた教育粛正だ」…そうかもしれませんね。叩かれているのは表面上は高校だけれども、高校以上に無能さと政策の失敗をさらけだす結果となったのが文科省で、文科省と対立気味の教育再生会議にとっては一石二鳥かもしれません。もっとも、安倍の教育についての提言は、文科省の失敗を上塗りするようなものが中心なので、あまり追い風にはならないでしょう。「ボランティア義務化」は「世界史必修」「家庭科必修」「週休2日」「ゆとり」とまったく同根だし、教育バウチャー制度は高校間の競争と親たちの実利主義を助長し、今回の履修漏れ問題(=実利主義の成れの果て)に類する問題が将来再発する可能性を強化することになるだろうしね。

ちなみに以前も言ったけど、オレは別に教育バウチャーやそれに似た制度に否定的なわけではなく、むしろ肯定的。ただ、この制度が教育の理想主義よりも実利主義を助長することを安倍や側近は分かって提案しているんかなあと、非常に心もとない。まともに競争原理にさらされたことのない安倍(三世議員、小学校〜大学までエスカレーター)は競争原理がもたらすものに対して非常に鈍感なんじゃないかなあ。競争原理が生み出すモンスターを甘くみてないだろうか。

今回、文科省が全国何百もの高校に見事にコケにされたわけですが、結局そのモンスターがこの事態を引き起こしたわけで、関係者の誰かが絶対的に悪いってわけではない。競争社会を舐めたらあかんぜよ。