教授の評価は

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吉村作治客員教授のキャンパスブログ】「教授の評価は」
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 すなわち大学の教員の能力に若者の行く末がかかっているのである。
 ところが、ほとんどの大学教員は研究を続けたいから、その手段として大学教員になった人が少なくない。教育はサービス業だということを理解し、実践している教員が少ない。

これはまあありがちで陳腐化した意見ですが、未だ有効な問題意識なので良いとして、それに続く以下の文言を読んで「おいおい」と思ってしまいました。

 私が所属していた早稲田大学でもそうだが、教員の教え方についてのアンケートを学期の終わりに学生から取っている。

 が、氏名無記名であることから、直接教授を中傷するたちの悪いものも出る。その一例として、授業中にひどい態度だったので強く叱責したからか、「吉村、大学をやめろ」などと書かれたことがあったのだ。大学当局はそれを教員にそのまま見せる。

 学生は教育される者、修行中の身である。そういった彼らに評価を無記名でやらせれば、こうなるのは自明のことで、ほかのやり方があるのではないかと思う。

こんなこと言ってるあんたこそ「教育はサービス業だということを理解し」てないんだろうが!と思わず嘲笑ってしまいました。

無記名だから好き勝手に書く、学生は未熟だから正当な評価なんてできない、云々。

そういう考えこそまるで駄目なんだよね。どこの「サービス業」が「客は素人だからプロである我々を評価する資格がない」なんて言うだろうか。言わないね、大学教員以外は。吉村さんも立派に同類。自覚したほうがいいよ。

もちろん「大学やめろ」とか「死ね」とか書く学生はロクでもないでしょう。しかし、そんなのごく一部でしょ? どんなサービス業だって、不条理な因縁をつけてくる客はいますよ。でもだからといって「客は素人だから評価は無理」なんて言わない。むしろその「素人」のフィードバックを得ようと懸賞までつけたりする。

学生による教員評価の肝は、忠誠心をもったまじめな学生による絶賛高評価の言葉にあるのでもなければ、逆恨み学生による罵倒の言葉にあるのでもない。「物言わぬ(=自由記述欄に何も書こうともしない)大半の普通の学生」の数字評価にあるんですよ。

もちろん、個々人を見ればあの数値だって適当ですよ。「面倒だから全部4を塗りつぶしておこう」とか、そんなパターンがままあります。でも、「面倒だから全部4を塗りつぶす」講義というのは、まあまあ好評価ということなんですよ。つまらない、受講するのが苦痛な講義に「面倒だから全部4」をつけてくれるほど学生は寛大じゃない。

ということで、総合データを見れば、個々人は適当でも、やはり全体として見れば講義によって差が出て来るものです。「学生の評価は当てにならない」と主張する教員は、その差を「ランダムな差だ」「その差に意味はない」と主張するのでしょうかね。でも胸に手を当てて考えてみてください。ほんとうにその結果の差は偶然ですか? その差はランダムに起こる差ですか? 5点満点でいつも2点代しかとれない教員といつも4点代の教員とでは、本当に差がないと思いますか?

差がないわけねー。

「サービス業」にたずさわっている人なら誰でも分かっていることですが、顧客は個々人では信頼性が低い評価しか与えられないように見えても、数を揃えてデータをとればびっくりするほど的確な評価をつきつけてくるものなんです。統計学をやっていればそのへんの感覚もよくわかると思いますけどね。

まあ、吉村さんみたいな感覚が古い世代の一般的な感覚なんでしょうが、もう少し頭を切り替えて考え直してみるのも良ろしいんじゃないかと思います。