「いじめ隠し」発覚の小学校長が自殺 北九州

「いじめ隠し」発覚の小学校長が自殺 北九州

12日午後3時ごろ、北九州市八幡東区山路松尾町の林で、男性がロープで首をつって死んでいるのを捜していた警察官が見つけた。福岡県警八幡東署の調べでは、男性は北九州市戸畑区に住む小学校の校長(56)。自殺とみている。この小学校では女子児童2人が現金を要求されて学校が「いじめ」と認識しながら、市教委に「金銭トラブル」と報告していた問題が11日に発覚していた。

これも「いじめによる自殺」では?…などと不謹慎なことを書きたくなる今日この頃。

昨今の「いじめ自殺問題」ですが、オレが以前書いたように学校を吊るし上げることばかりに焦点が当たっていて、なぜこういう事態が起こったのか、どうすれば防げるようになるのかということがあまり問題にされない。それ以前に、青少年の自殺というものが複合的な要因で起こることが度外視されて、少しでもいじめの形跡があれば即それが主要因であるかのように決めつける。

思春期というのは、試行錯誤しながら個と社会集団との距離感を身につける時期であるから、「試行錯誤」の「錯誤」の結果として軽度のいじめはどうあったって起こるものであります。オレだって教科書に「死ね」とか落書きされたことぐらいはありますし。青少年の自殺者の多くは多かれ少なかれいじめにあった経験があるでしょうし、いじめの「事実」があったからといって即それが主要因と決めつけることはできないはずです。それは、例えば「遺書」でいじめを明記してあった場合も同じで、本当は複合的な要因で自殺を決心するにいたったのにも関わらず、行きがけの駄賃としていじめた相手に復讐するためにあえて、確信犯的に遺書にそれを書くに至ったかもしれない。あくまで可能性の話ですよ。しかし、自殺予告が連続して起こったことからわかるように、恨みを解消する手段として遺書を利用することはあり得る話だと思います。自殺といえば即いじめ原因と決めつけるのは、結局スケープゴートを探しているのと同じことじゃないでしょうかね。

とはいえ、いじめの事実を隠蔽する学校があったとしたらそれは看過できないことであります。ただ、隠蔽する学校を叩くだけではなく、なぜ隠蔽したがるのかという構造的な原因を考えた方が良いのではないかと思いますけどね。例えば、いじめを正直に申告すると学校長に何らかの「罰」がくだされるとか、そういう構造はなかったでしょうか。

まあ、いじめの問題は難しい問題ですから、そう簡単に話は済まないんでしょうが、とりあえず付け焼き刃的罰則やら吊るし上げやらで問題を終わらせるのはどうかと思いますね。てゆうか、ボランティアやれば問題は解決するとか、まさかそんな阿呆な方向に話を持って行くつもりじゃないでしょうね…。