「過去問」、17国公私大が相互利用 08年度入試から

いろいろ書きたい話題もあったのですが、「研究リソースの鬼のような無駄遣い期間」である入試時期に入ったため突発的に忙しくなり、更新ができませんでした。ご存じない方もいらっしゃるかもしれませんが、大学入試は、問題作成から試験監督から採点、はたまたセンター試験の監督まで、教員と職員がフル稼働で働くことによって運営されているのであります。

というわけは今日はちょっと古いネタですが、このネタを。

「過去問」、17国公私大が相互利用 08年度入試から(asahi.com)

岐阜大を中心とする17の国公私立大学が、入試で過去に出題した問題を互いに利用できるようにするネットワークをつくり、全国の大学に参加を呼びかけている。各大学の「過去問」を共有財産と位置づけ、相互利用を可能にすることで、入試問題作成に要する時間や労力を節約しようという狙いだ。17大学は08年度入試からの導入を予定しているが、「難問奇問が減り、良問が増える」と評価する意見がある一方で、「受験生が過去問あさりに熱中するようになる」と懸念する声もある。

この話、確かにうちのガッコにも回ってきていました。秋頃に。仕組みがよく分からなかったのと、過去問の使い回しのリスクをどう回避するのか見えなかったので、うちでは特に詳しく審議することもなくスルーされました。まあ、そりゃそうですね。

しかし、現在の入試制度が実施する側にも問題をはらんでいるという事実を知らしめるという意味では評価できるかもしれません。

前から当「ultravisitor」では繰り返し述べておりますが、また書きますとですね。日本の大学の数は700強(短大を入れると1000を超える)あり、そのそれぞれが複数入試をやっているわけです。例えばうちのガッコでは今年は全部で7回ペーパー試験を実施します(注:もちろん各学部7回という意味ではありません。試験実施する日が2月と3月合わせて全部で7日間あるという意味です)。英語はそのすべてに関わっていますから、英語の問題だけでも7種類作ることになります。毎年ね。中堅私大ならこれぐらいは普通でしょう。もっと上のエリート校や国公立になるともっと試験回数は少なく、また、もっと下の学生が集まらないような私大だと、試験自体実施しないで小論文だけで入れたりするので、これまた作る試験問題の数は少ないでしょう。でもまあ、平均して1校につき3種類の英語の入試をつくるとしたら(←根拠のない適当な数字)、3x700=2100の問題が全国で作られることになります(短大を除いて)。しかも毎年ですよ! 日本では毎年毎年2100種類の英語の入試問題が作成されていることになるわけです。研究者である教員の手で。これを研究リソースの無駄遣いと言わずなんと言うのでしょう。どう考えてもそんなにたくさんの入試問題がいらないのは誰が考えたってわかります。

入試制度に関する問題としては、受験生と大学の関係がクローズアップされがちですが、入試を準備する側にもこのような膨大な無駄が横行しているわけです。

これをどうにかしようと考えたのが上記の「過去問相互利用制度」なのだということは、以下の記事引用からも明らかですね。

 大学の教員にとって、問題作成に要する負担は重い。国立大の場合、教員の中から選ばれた委員が、過去に他大学で同様の問題が出題されていないかなどをチェックしながら問題を作る。
 岐阜大では、全教員の約8分の1にあたる約100人の教員が半年近くかけて問題を作っている。その間、研究や授業がほとんどできなくなる教員もいるという。
 90年代以降、入試方法の多様化や受験機会の複数化が多くの大学で進み、問題の種類や作成回数が増加。教員の負担が増し、数年前からは大手予備校に問題作成を外注する大学も現れていた。 

ただ、問題意識には賛同出来るんですが、どのように運用するのか、問題点はないのかといったことに関して、細部が今いち不明であり、現時点では参加する大学はそう多くないでしょう。

これに関して「俺の職場は大学キャンパス 問われている、今後の大学入試のあり方」さんでは、

「そもそも良質な受験問題って何?」という議論自体が、日本ではあまり行われていない気がします。

また「そもそもこの試験で何を測るのか?」という議論も、大学で働いていて、あまり耳にすることはありません。

という至極もっともな指摘をされています。

大学の現場の現状から言えば(もちろん「俺の職場は大学キャンパス」さんも現場にいらっしゃるので良くご存知かと思いますが)、はっきりいって、入試問題を作成して運用するのでいっぱいいっぱいで、それ以上のことは考えられないというのが実情です。もちろん、問題を作成する段階では、「うちの大学にくる学生にはこの問題は難しすぎるだろうか」とか「とはいってもやはり最低これぐらいのことは分かっていて欲しいね」とか、そういう議論はかわされますし、問題の難易度については受験説明会などで公表していますから、ある程度の基準は存在します。しかし、正直、「どのような問題でどのような能力を計るのか」ということについては、自転車操業の中で「そのときそのときの直感」に頼っているのが現状です。

また、少子化の時代になり、さらに「大学で何を教育するか」について、これまでよりも厳しい目を向けられるようになった昨今においては、正直、あんまり選り好みもできないというのが本音です。上のasahi.comの記事では、

 関西のある私立大幹部は「大学の入試問題は、『どんな学生に来てほしいか』という大学から受験生へのメッセージでもあり、安易に過去問に頼りすぎる傾向が生まれるとよくない」と話す。

と書いていますが、はっきり言って、入試問題によって「どんな学生に来てほしいかという大学からのメッセージ」を送る時代は終わっているように思います。各大学が独自入試をやる「本質的な意味」はどんどん薄れていると思います。すでに「併願を防ぐ」とか「偏差値ランキングだけで志望校を決められると困る」とか、そういう本質的でない意味しかない。

とはいえ、「過去問相互利用」が切り札になるかは微妙です。とりあえず様子見という感じです。それより、センター試験をアメリカのSATのようにして、各大学がそれを利用する方がよっぽど効率的だと思いますが。…っていつも言っていることの繰り返しですけれども。だって普通に論理的に考えればそうだと思うんですけど。

「俺の職場は大学キャンパス」さんのところで書かれている通り、「大学入試は今、間違いなく迷走しています」というのは100%正しいと言えます。もうね、センター併用入試とか、何の意味があるんだと思いますよ。学力審査においては「併用」の意味ないやん。センターだけでいいやん。…でも、現実的にはそうせざるを得ない台所事情があるわけです。不毛だけどそうせざるを得ない。虚しいものがあります。

爺さんのヨタ話みたいな精神論的教育論もいいけどさ、こういう構造的問題も突っ込んでくださいよ>再生会議さん