Vistaについて思うこと

Apple関係の話題ではありませんが、そしてちょっと遅い話題ですが、Vistaについて感慨深く思うことを少々。

Vistaが出ましたけど、かつてないほどまったりした雰囲気ですね。いや、これは別にMacユーザのオレがWindowsを揶揄しているわけではありません。Mac OSはWindowsよりバージョンアップの周期が早いので、よく分かるんですよ、このまったり感。Mac OS X(エックスじゃなくてテンです)は、10.0(チータ)は2001年3月にデビュー、10.1(プーマ)は2001年9月発売(翌月Windows XP発売)、10.2(ジャグワー)は2002年発売、10.3(パンサー)は2003年発売、10.4(タイガー)は2005年発売、そして今年2007年には10.5(レパード)が出る予定です。XPからVistaになるまでにすでにMacは何回もアップデートしているんですが、あきらかに、アップデートのたびにまったり度が上がっているんですよ。糞重ベータ版レベルのOS、10.0(チータ)は問題外として、10.1(プーマ)から10.2(ジャグワー)ぐらいはそれなりの熱いまなざしはありましたが、10.3(パンサー)以降は明らかに「円熟」というか、いやまあ、10.3(パンサー)に慣れれば10.2(ジャグワー)に戻る気になれないし、10.4(タイガー)に慣れれば10.3(パンサー)に戻る気にはなれないという細かい改善点はいろいろあるものの、正直、「まあ、予算に余裕があったらアップグレードを考えてもいいかな」という感じですよ。

だから、Vistaが出て、「まあ、予算があったらアップグレードしてもいいかな」というまったり感が漂うWindowsユーザの雰囲気はとてもわかるんです。Macの方も今年新バージョンの10.5(レパード)が控えてますが、Macユーザに祭りムードは皆無ですもんね。もちろん、それなりに期待はしているんですよ。でもまあ、別に発売してすぐに飛びつくことはないだろうな、と。

なんというか、90年代のパーソナルコンピュータの進歩の輝きというのはほんと素敵だったと思うんですよ。印刷物みたいな文書つくれるんだとか、お絵描きできるんだとか、高度なグラフィック処理できるんだとか、インターネットで情報発信できるんだとか、すべてが初めての体験で。だからこそ皆OSの新しいバージョンにも大きな期待を寄せていたわけです。

しかし、2000年代に入ると、あらかたの「アナログからデジタルへ」の移行は終わってしまって、こんどは技術革新よりも、コミュニケーション自体に比重が移ってきたわけです。90年代は「ウェブサイトを個人でもてるなんて、それだけで斬新!」という時代だったわけですが、今や誰でもブログを持てて、誰でもmixiやる時代です。トラックバックだ、はてブだ、ってなもんですよ。フォトショの機能つかいこなしてお絵描きするより、デジカメでパシャパシャと写真とってブログに貼付けた方がはるかにクールなわけですよ。

テクノロジーそのものからコミュニケーションへ、時代は移っているわけです。

考えてみれば、この方が健全ですよね。今やコンピュータは「ツール」なんですよ。携帯がものすごい勢いで高機能化している中、コンピュータを特別なテクノロジーだと見ている人はいない。コンピュータは当たり前の存在で、問題はそれで何をするか、皆が気にかけているのはそれですよ。だから、OSのバージョンなんて正直どうでも良い。ていうか、これまでOSで大騒ぎしていたのが異常だったわけで。OSでなにかをクリエイトするわけじゃないだろ、と。

そう考えると、Apple Computer Inc.が「Computer」を取って Apple Inc. に社名を変えたのは、実に象徴的で。てゆうか、たぶん、ジョブスは、「もうパーソナルコンピュータでイノベーションする時代は終わった」と明確に考えているんでしょうね。

まあ、とはいえ、Vistaのエアロはちょっと気になる今日このごろです。