絶望的な日本の「著作権団体」

先日の、「EMIがiTSでDRMフリー楽曲配信を決定」を受けた「国内の著作権団体、アップル・EMIらの「DRMフリー」サービスを牽制 (CNET Japan)」という記事を読みました。牽制はまあ、予想できるし、いろんな議論があって良いと思うんですが、それよりその牽制の内容がひどい。なんじゃこいつら。さすが「Nikkei Net: アップル、アルバム配信で販促策・日本除く21カ国で」と報道される日本の面目躍如ですね。そのひどさをここで吊るし上げたいと思います。

ちなみにこの記事で発信しているのは「著作権者団体らが設立したデジタル時代の著作権協議会(CCD)」という団体。

「技術的保護手段」「法律・ルール」「教育」の3点がバランス良く保たれることが、デジタル化とネットワーク化が進む時代において著作権、著作隣接権の保護と公正な利用を促進することにつながると強調。技術的保護手段のみを弱めるサービス展開を疑問視した。

正論のように思えますが、「技術的保護手段」「法律・ルール」「教育」の三点って結局権利者(創作者ではない)が上から見下ろした視点なんですよね。この記事を最後まで読めば、こいつらには利権という観点しかないことが、「文化」という視点が皆無であることが、良くわかります。

研究会がCCD会員(32団体)に向けて実施した「権利保護並びに保護技術に関するアンケート」の中で、DRM技術を実施、または管理運営するためのコストや労力について「不安な点がある」との回答が数多く寄せられたことを紹介。「すでにDRM導入が進み、ビジネスが展開されているからこその不安」(研究会副主査の戸叶司武郎氏)と一定の評価を示し、「不安や不満があるから(AppleやEMIのように)DRMをフリーにする、ということにはならない」とした。

これも無茶苦茶な論理ですよね。「不安や不満があるから(AppleやEMIのように)DRMをフリーにする、ということにはならない」というのはまだわかるとしても、

DRM技術を実施、または管理運営するためのコストや労力について「不安な点がある」との回答が数多く寄せられた』
→『「すでにDRM導入が進み、ビジネスが展開されているからこその不安」と一定の評価

って、何そのポジティブシンキング? 無理矢理すぎ。自分に好都合なようにねじまげて解釈するなっての。

そして、この「著作権団体」のDRMのビジョンとは…

 2007年は、共通化された各種IDをビジネス化するためのツールとして「許諾コード」を提案。これは視聴限度数や期間などを設定するためのもので、サービス提供側の狙いを消費者まで正確に届け、より円滑なコンテンツ流通ビジネスを展開できるようにするという。
 具体的には「1ダウンロードで3回まで視聴可能」など、不正流通を防止しつつ流通を促進して、サービスを円滑に提供できるようにする仕組み。コンテンツの保護機能と許諾管理基盤である共通IDを連携させることで、多様なサービスが簡単にできるようになるという。

だめだこりゃ。

身銭を切って購入したコンテンツの創造的な楽しみ方が制限されることに聴衆がどれだけ怒りを感じているか、まったく分かっていらっしゃらない模様。「おまえらはただの消費者なんだから、オレら利権者に黙って勝手に楽しんではいけない」という姿勢ですね。まったくもって絶望的な連中です。

我々聴衆は消費者ではありません。文化発展の一端を担っている者です。日本の「著作権団体」の思い上がった態度が改まるまで、国内盤CDは買わないとか、iTS USからダウンロードするとか、中古盤しか買わないとか、ささやかな抵抗を続ける必要があるでしょうね。