2006年夏〜2007年4月までの経緯

2006年7月

  • 罪害ならば一年ちょっと前から行き先を決めて打診しなければなりません。オレの場合、たった半年の罪害なので、新しいところへは行かず、駄目院生(プロ院生とも言う)として8年以上に渡って在籍した古巣ハー大(仮称)へ戻ることに決めました。へたに新しいところに行くと、生活に順応するだけで半年終わりそうだからです。それにしてもオレが学位を取ったのがこの時点からさかのぼってわずか2年ちょっと前ですから、懐かしくもないというか、この時点で罪害へのトキメキや緊張感はゼロ。すでに退官した指導教官に問い合わせたところ、「9月になってから学科長に連絡つければいいよ」と言われたので保留。

2006年9月

  • 学科長に連絡。「じゃ、カバーレターとCVと研究計画書送って。推薦書はいらないから」とのこと。

2006年10月下旬

  • 推薦書いらないという時点でさらに緊張感がなくなったオレ。気付いたらすでに10月下旬で、秘書から「書類まだぁ?」と催促がきて慌てて書類を送る。

2006年11月下旬

  • 受け入れが承認されたとのメール。ばんざーい(棒読み)
  • ハー大のインターナショナル・オフィスが用意しているPreliminary Data Sheet(PDS)という書類を埋めて送れとのこと。これは簡単な履歴やら、滞在中のお金の出所はどうするとかなどを自己申告する用紙のようです。これを送ると、Jビザ申請で必要なDS-2019をくれるのかな? 後で変更効くとはいえ、何月何日から何月何日までという日程を申告せねばならず。まだ先のことだし決められないyo!

2007年2月

  • と思っているとあっというまに2月になってしまった。いかんいかん! あわててPDSを埋めてサインしてファックスする。
  • このころ、向こうの学科長名で郵便で受け入れの手紙が届きました、確か。すでに同じものをスキャンしたやつをメールでもらっていたので「いらね」と思ったけど、実はこの手紙はVisa申請のときと入国の時に絶対必要な、大切な代物なのでありました。

2007年4月

  • 音沙汰ないのでなんか不安になる。てゆうか、こっちはPreliminary Data Sheetしか出していないんだけど、まだ他に出すものないの? 財政証明とかも出してないんだけど…。ということで、向こうの秘書にメールで問い合わせたら「万事オッケー、DS-2019は6月中旬ごろ送られるはずよ」とのこと。2ヶ月後かよ! おそっ!
  • 一昨年罪害わかてわくに行ってきたわかての人に「いつビザの面接に行きました?」と質問したら、「初めての海外留学だったこもあって、ゴールデンウィーク明けに面接に行きました」とのこと。ゴールデンウィーク明けというのもえらい早いけど、ビザの面接の経験もないし、ちょっぴり不安に。

つづく。