隠し砦の三悪人 (2008) ★★★

樋口真嗣監督,長澤まさみ阿部寛,松本潤主演。

スターウォーズをインスパイアしたことでも知られる黒澤明監督の1958年作品のリメイク版。隠し砦は黒澤映画で最も好きな作品の一つなのだが,リメイク版の前評判もちょっと耳に入れて,なるべく広い心で観ようと心に決めて観に行った。隠し砦は黒澤映画でおそらくもっともエンタテイメントに徹した映画の一つなので,まあリメイクも比較的やりやすいだろうし観て腹が立つこともなかろうと。

で,観た感想だけど,ヒドイということはなかったな,と。黒澤版になかった新しいプロットも興味深かったし,新しいプロットを入れつつもオリジナルに敬意を払おうという姿勢も感じられた。しかし,あらゆる点で黒澤版とは比べるべくもなく,監督の力量の違いを一場面一場面ごとに確認するようで,観ていて辛いと感じることが多かった。

監督の映像センスが完全に負けているのはしょうがないとしても,脚本はもうちょっとなんとかならなかったのか。黒澤版のプロットも隙がけっこうあって完璧ではないが,それでも一貫性というものはあった。しかし本作は,ドライな原作に恋愛などのウェットな要素を盛り込もうとした結果,ちぐはぐなプロットになってしまっている。

特に致命的なのが雪姫(長澤まさみ)のキャラ。気丈なのか気弱なのか,男勝りなのか女らしいのか,運動神経が良いのか悪いのか,為政者としての責任感があるのかないのか,全然一定しない。黒澤版の上原美佐の雪姫は,「気丈」で「男勝り」で「運動神経が良く」て「為政者としての責任感が強く」て,キャラとして単調すぎると批判もされたがとりあえず一貫はしていた。お分かりのとおり,長澤まさみ版雪姫の「気弱」「女らしい」「運動神経が抜群とは言えない」などの新しいキャラ設定は,まつじゅんとの恋愛プロットを入れるために無理矢理足されたものである。しかし恋愛プロットを入れるためには女性キャラは弱くなければならないという発想自体が実に貧困かつ前時代的で,興ざめ。また雪姫のキャラが不安定なため,真壁六郎太(阿部寛)のキャラ設定の基盤までが揺らいでしまっている。

それから,後半で現代性を持たせるためにインディー・ジョーンズばりにアクションを入れるのは良いのだけど,残念ながらアクションのスケールがインディー・ジョーンズあたりとは比較にならず,みていてちっともハラハラドキドキせず,冷めてしまう。予算が足りなかったのだろうが,黒澤なら,「予算が足りないからこんなもんで勘弁してください」なんて妥協は絶対しないだろう。必要な予算が得られるまで撮影続行を拒絶するか,予算内で出来る最高の表現方法というものをなんとかして考えて観客をあっと言わせるはず。こういう「判断の分かれ目」でどのような道を選ぶかが監督の力量の差となるのだと思う。さらに,真壁六郎太(阿部寛)が敵の砦から脱出するシーンや,最後の,早川の城が開門したときのシーンなども,リアリズムというものが皆無で,黒澤なら絶対に,死んでもあんなシーンにオーケーを出さないだろう。ここでオーケーを出してしまうのが監督の力量の差というものなんでしょう。

脚本としては,新プロットを入れるという試み自体は意欲的で良かったと思う。確かに黒澤版のプロットのままだと現代の観客の感性に合わない部分もあったと思う。しかし,変に現代性を入れたがために黒澤版の斬新さが失われて逆に普通の大河テレビドラマみたいになってしまった。公開からひと月ですが,上映映画館の数も上映回数も減っており,我々が観に行ったときも,金曜の最終上映とはいえ,ぼくとスーパー同居人ちゃんの他には観客はたった2人しかいなかった。現代風にアレンジしたがためにかえって当たり前の作品になってしまい,客を惹き付けられなかったということか。