授業中の私語は合理性の観点から排除すべき

大学に関する話題日記(2008/11/15)」さんのところで紹介されていた「『私語は授業妨害』学部長が掲示 モンスター大学生が増えた!(J- CASTニュース)」について。話の始まりは,和歌山の新聞ジャーナリストが,おそらく非常勤で講義を受け持っている某大学で,学部長名義で私語を注意する掲示を見つけてあきれたということをコラムで書いたことです。

以下思うことを少し。柿柳先生風箇条書きで。

このコラムでは、関西でも有数の名門私学が、私語で「授業に大きな支障が出ている」と、学生の自覚を促す学部長名の掲示が教室にあったと紹介。その掲示では、「大学生にこのようなことを伝えなければならないことは、慚愧に堪えない」とまで書かれていたというのだ。そのうえで、コラムの筆者は、教授らが学生を静かにさせられずに学部長に言いつける現状を嘆き、そんな「幼稚化」した教授らは、「さっさと教壇を去ればいい」と指弾している。

  • 学部長名の掲示はやはり情けない。良い方法とは思えない。
  • 「学部長にいいつけた」というのは言いがかりだろう。合議制の国・日本の大学では学部長に独断で行動する権力はない。たぶん私語の状況が教授会の議題になり,「学部長掲示を出した方が良い」という意見に収束し,学部長がそれに従ったという構図だろう。
  • とはいえやはり掲示で注意というのはいかがなものか。FDで解決するのが筋。

慶大の小林節教授は、他大学への特別講義などで、次のようなケースがあったと明かす。

「こんな学生がいたことがあります。私語を注意すると、『先生、私たちの授業料で食っているんでしょう』と。しかし、教師と学生は対等ではありません。だから、『威張るな』と言いました。講義中に帽子を被っていた学生もいました。怒ると、次の時間にはいなくなりますね」

  • 「威張るな」というのはなんとも情けない切り返し方。それでは「あの先生は威張っていてムカつく」などと言う学生と同レベルである。
  • 「同じく授業料を払っている他の学生に不利益になるので私語をやめたまえ」と言うべきだ。ちなみにぼくなら「思う存分筆談しろ」と言う。
  • 帽子は問題ないだろう。なぜなら授業運営に影響を与えないからである。「私語」の問題と「礼儀」を同一線上で考えるという古い考えが「私語」を横行させているのではないか。
  • アメリカの一流大学では帽子や軽い飲食程度では注意されない。帽子をかぶってようが,パンを食べてようが,授業に貢献する学生であるならば,授業運営という点からは問題ないからである。
  • むしろ帽子で注意する方が「幼稚」と考えるべきだろう。

私語対策には、各大学も苦慮しているようだ。
神戸山手大学では、3年前から講義系の主な科目で、座席指定を義務付けている。

  • この「座席指定」というやり方は実に魅力的で,もし私語がうるさい授業があればやってみたい誘惑にかられる。「座席指定」するメリットは
     (1) 友達で固まる確率が減るので私語が減る
     (2) 出欠が一目瞭然
    と,良いことばかり。特に,代返をふせぐ無駄な労力と時間を考えたら(2)のメリットは大きい。
  • しかし,座席指定のデメリットは,「やる気があるので前で聞きたい」という学生や「目が悪いので前に座りたい」という学生が後ろに座らされる事態が生じるということがある。確かに教室によっては後ろの方は黒板やスクリーンがみにくい場合があり,不利益を被る学生が出るかもしれないと考えると,座席指定に踏み込めない。調整すればいいがその手間が馬鹿馬鹿しい。
  • ちなみに試験のときは後ろだろうが前だろうが関係ないので,ぼくは座席指定をしている。出欠が一目瞭然だし,カンニングをやりにくくする意味もある。

慶大の小林教授は、教授が教授らしくすることで私語を防いでいる。

「授業中の私語や携帯メールなどは許していません。『それが嫌なら出て行け』と言います。つまみ出すために、大学院生のティーチングアシスタント2人を付けたほどです。教室は教授以外に管理できないのに、それができないのは、だらしがないんです。(後略)」

  • 言いたいことは分かるが,「だらしがない」かどうかというあやふやな尺度で考えるのはもう通用しないだろう。
  • 「学生の利益・不利益」という観点を合理的に進めれば,私語は許されないという帰結に当然なる。つまり,私語を許す教員は学生の不利益になっているという点で,やるべき仕事をまっとうしていないのである。「礼儀」ではなく「合理性」をもとに授業運営をすべきだ。
  • じゃあ携帯メールは迷惑をかけないから良いのかという話になる。ぼくは大講義に限っていえば,寝ていようが携帯メールをやっていようが構わないと思う。寝たり携帯メールをやることがしっぺ返しとして学生に返ってくる授業運営をすれば良かろう。
  • アメリカの大学では(おそらくヨーロッパでも)授業中に私語はない。授業聞かないならそもそも出席する意味がない,金払っているんだから聞かないと損という合理的な判断である。よく考えたら出席も取らない。出席するかどうかは自己責任ということである。
  • 結論として,私語をなくす最善の方法は,「先生の威厳をもってして排除する」ことではなく,授業運営の合理性を追求することにあると思われる。要するに,「先生の言うことを聞き逃すとその結果が自分の身にふりかかってくる」ことが明らかな授業をすれば良いのである。

以上。