佐藤孝治「<就活>廃止論」から大学を考える

さて、「社会の中の大学を考える」シリーズ、第1弾「本田由紀『教育の職業的意義』は幻想か」、第2弾「河本敏浩「名ばかり大学生」における大学批判・入試批判は(論拠は少し弱い気もするが)もっともである」に引き続き、第3弾の今回は、佐藤孝治「<就活>廃止論 -- 会社に頼れない時代の仕事選び」(PHP新書, 2010)を読みます。本田さんが大学の先生、河本さんが予備校の先生なのに対し、佐藤さんは就職活動/採用人事関係のコンサルタントということで、必ずしも最初から意図したわけではありませんが、ちょうどよく「大学」「高校・予備校」「企業」の三つの視点がそろったことになります。

この佐藤さんの本は一言で言うと、現在の「新卒一括採用システム」はもはや時代遅れであるという批判ということになりますが、全体的には「<就活>廃止論」というタイトルから想像されるほどの過激さはなく、本田さんや河本さんの本の攻撃性に比べると、あくまで相対的にですが現実肯定的な本だと言えると思います。また、本田さんや河本さんの本が、大学関係者や国の教育政策に関心のある人を読者として想定していると思われるのに対し、佐藤さんのこの本は、「当事者」である就活学生(と企業の人事担当)に向けてかかれており、学生に対する就活ハウツー本としての側面もあります。大学の悪口もほとんど書かれていませんし、大学の先生が学生に安心して勧められる本だと思います(笑)。

逆に言えば、大学への言及がほとんどないため、「大学教育」に対する提言を読み取ることはできませんが、「就活」に悩まされ続けている大学教員が「就活」の実態を知るには良い本ではないかと思います。現在多くの大学教員にとって就活は「敵」でしかないという認識だと思いますが、同時にその「敵」の実態を本当のところよく分かっていないというのが実情ではないでしょうか。その点、佐藤さんの本は勉強になりましたし、ぼく個人はこれを読んで、高校教育から就職にいたる枠組みの中で、大学が果たせるポジティブな役割は何だろうかということをあらためて考えさせられました。

文体は、理路整然とした本田さん、若干扇情的だが読みやすい河本さんに対し、佐藤さんのは平易かつ温和な印象ながら、少々同じ主張・指摘の繰り返しが多くてちょっととっつきにくく感じましたが、学生が読むことを考えるとこれぐらいしつこい方が良いのかもしれません。

では、以下に内容に触れ、主に大学教育という観点からコメントしたいと思います。(以下敬称略)

「新卒一括採用」のシステムは破綻している

本田も同じことを指摘していたが、高度成長期に「人材の安定的大量確保」のために確立した「新卒一括採用」というシステムは、不況によって企業が「社内研修・教育」ができなくなりつつある現状と、「終身雇用制度」の崩壊により、すでに存在意義を失っていると佐藤は指摘する。

例えば、「第二新卒」というカテゴリーが当たり前のようになっているという現状がある。

第二新卒とはご承知のように新卒で就職したものの、数ヶ月から三年以内にその会社を辞め、転職の人材市場に出てきた人のことをいう。昔、終身雇用が全盛の時代であれば新卒で入社して短期間でやめた人には、強いマイナスイメージがつきまとったが、現在ではそうしたネガティブな語感はほとんどない。それは新卒で就職しても三年以内に退社する人が四割にも及ぶという状況を迎え、「一斉に入社、一斉に定年」という終身雇用の週間に置ける「入口」部分もガラガラと崩壊しつつあるからである
(佐藤孝治「<就活>廃止論」p.36)

そんななか、「新卒一括採用」にどれほどの意味があるのかと佐藤は問う。

また、佐藤は新卒一括採用方式がいかに高コストかということを述べたあと、一般商品のマーケティングでは「ターゲットを絞り、ターゲットに合わせたアプローチ」が当たり前になっているのに、「新卒採用業界ではいまだにマスマーケティングが主流だ」と批判する。さらに、「企業と学生の間に入る採用支援の業者にとって『たくさん集めて、たくさん落とす』手法のほうがお金になるので、巧みに真実が隠されているのだ」(p.145)という、佐藤自身が身を置く業界側の問題も指摘する。

インターネットが発達した現在では、人気企業だとエントリーシートの数が万を超えることもあるそうで、人事の現場の疲弊もさることながら、「確実に良い人材を発見する」という確実性の点からしてもこのシステムがちゃんと機能しているのかという点で大きな疑問が残ると佐藤は指摘する。

「新卒一括採用制度」の特殊性

大学の人間である本田も指摘していたが、企業側の人間である佐藤も、「私たちが常識だと思っている、現在行われている日本企業における内定獲得までのプロセスは、世界を見渡すと非常に特殊なものである」(p.181)と述べている。例えばアメリカの実態は以下のようになっていると佐藤は述べる。

アメリカでは、ある一定の季節に一斉に新卒社員を募集するということがなく、新卒の人材も職務経験者と同じ土俵で競争する。そのため「若いうちは給料が安くても、極端に言えば無給であっても、まずは価値のある職業経験を積むことが大事」という考えが一般的だ。卒業後しばらくはインターンシップやボランティア活動で経験を積んだ後に、正社員の就職口を探そうとする人が多い。(p.181)

確かに、ぼくも9年近くアメリカの大学にいて、キャンパスにスーツを着た学生が闊歩しているのを観たという記憶はない。日本だけでしょう、秋から冬にかけて、黒スーツの学生が大勢闊歩するような大学が存在するのは。(まあ、この期間に学生は髪の毛を黒く戻すので、その点は良いと思うのですが。…別に茶髪がけしからんということではなく、単純に茶髪が似合ってない学生が多いので。)

「新卒一括採用」システムはポテンシャルのある学生を逃している

一方、コストや効率以外の「新卒一括採用」の問題として、佐藤は、現在のあまりに画一的な就活スケジュール(大学3年生の夏にインターン→秋冬にセミナー→春に面接→4年初めに内定→1年のタイムラグを経て入社)の問題として、以下のような問題を指摘している。(p.183ff)

  1. 学生は半年の就職活動を通して、成長・覚醒するのに、覚醒したころには就活は終わり、それを「仕事探し」に生かす余地が残されていない。
  2. 「就職活動の流れには『出遅れた』ものの、大学四年生の春から努力して成長し、夏には就職活動の準備が整ったというようなパターンの学生」は実際少なからずいるのに、こうした学生には十分なチャンスが与えられない。(企業もポテンシャルを見極めるチャンスを逸する)
  3. 春に内定(正確には内々定)が出たとして、その後入社までに一年間近くのタイムラグがあるのが、いろんな意味で非効率的である

佐藤は、就活は学生を育てるということを強調しており、こういう「成長機会」が、あまりに画一的・短期的な就活スケジュールによって生かされない現状は問題であるとし、「就職と言う自分の生涯の問題をこのような荒っぽい一発勝負で解決するということ自体、おかしいと思う」と指摘している(p.184)。

大学入試にも根深い「一発勝負問題」がありますが、就活でもやはり「短期一発勝負」ということであれば、本当に若人は不憫であります。

変化できない構造

以下のポイントは、本全体としてはさして重要でないポイントですが、大学の採用活動である入試でも同じことが言えるので思わず笑ってしまいました。曰く、

人事部の採用チームを会社が評価する指標が、「自社へのエントリー学生数がどれだけ増えたか」「人気企業ランキングでどれだけ上昇したか」にある企業もまだまだ多い。役員会への報告のために、エントリー数増加対策や、人気ランキング向上対策に頭を悩ませている人事担当者が実際に存在する。発想がまったく内向きで、これでは本末転倒である。(「<就活>廃止論」pp.145-146)

仮に企業の人事担当者が「何かおかしいのではないか」と感じたとしても、他社との人材獲得競争下にあるために、結局は従来のやり方に収斂していってしまう。(同p.182)

いやあ、「志願者数」で一喜一憂する大学の現場、ライバル校との「三すくみ状態」のまま動けず、抜本的な入試制度改革ができない現状。大学関係者にも身に覚えがありすぎる問題であります。

就活で成功する人材とは

さて、この佐藤本には、就活システムの現状批判と同じぐらい、就活をする学生へのメッセージも含まれている。実はこの部分は、大学教員にとっても参考になるかと思う。というのは、経済産業界から「大学教育は産業界からの要請に応えていない/応えるべきだ」との批判を受けるたびに、大学教員は大いなる反発を覚えるのだが、同時に、「求められる人材」がどういうものなのか、大学教員は本当のところ、分かってないという側面がある。

さらに、経済産業界は経済産業界で、「要請に応えていない」と批判しているわりには、何を「要請」しているのか、ちっとも具体的に提示しない。こういう「提言」をするのは、大企業の社長・会長クラスだというのが相場だが、正直、こういったトップにいる爺さんは、採用活動の現場も大して分かってないんじゃないかと下衆の勘ぐりをしてしまう。

自分の学生がちゃんと就職できるかというのは、大学教員とてやはり心配なので、どういう人材が「勝てる」のか、知ることができるのは大変有益なことである。

さて、佐藤は以下のように述べている。

多くの学生が勘違いしているのだが、学生が就職活動に苦戦している理由は、新卒学生に対する求人が少ないからではない。企業が採りたいと思う学生が少ないからである。(p.81)

企業がぜひ採りたいと思える「いい人材」の出現率は五%程度だ。(p.82)

これ、実はアカデミズムの採用状況にも同じことが言える。未曾有の就職難と言われている大学研究者/教員の業界だが、「採用人事を起こしているがいい人材の応募がない」という嘆きを耳にすることははっきりいって稀ではない。また、良い人材は就職先を見つけるのにそれほど苦労していない。ぼくは自分の業界での実感をもとに常々学生に、「不況といっても、いや、不況だからこそ、企業は良い人材を必死で探している。良い人材になればどんな就職難でも仕事は簡単に見つかるよ」とアドバイスにならないアドバイスをしているが、それもあながち間違っていなかったということでほっとしています。

ではどのような人材が企業から求められているのか。佐藤は「ある超人気企業の人事担当者」の話として、以下のような言葉を引用している。

企業が変化を求められるスピードが速くなって、企業もなんとか変わっていかなくてはなりません。(中略)かなり長期的に人を採用して、その中で振り分けてという従来の雇用のスタイルから、どの企業も即戦力ということが求められてきているのではないでしょうか。ただ即戦力という言葉に気をつけてほしいのですが、よく言われるような「新卒はポテンシャル、経験者は即戦力」というような意味での即戦力ではないのです。(中略)スキルベースの話ではない。(中略)それはどんなものかというと、具体的なスキルではなくて、「自分でものを考えられる力、自律性」ですね。自分でリスクをとって道を選べる人というのがポイントです。大学での学生たちの行動の中にも、そういうものが見えている人を採りたい。(pp.113-114)

こういうことを知ることができたのがこの本を読んでよかったことの一つである。企業が大学に「即戦力のある学生を育てろ」と言うたびに、大学教員は、「大学は就職予備校じゃねーぞ!」と非常に大きな反発を感じるが、「スキルベースの話ではなく、自分でものを考えられる力、自律性の話だ」と言ってくれれば、どんなにか企業と大学の対話はスムースに行ったことだろう。そういう要請ならば、大学も真剣に考えるであろう。

就活の<ステップ0>〜その日米格差

また、佐藤は、(身も蓋もないようだが)実は「勝負は就活のスタート時点で既についている」とする。というのも、就活には、実際の活動の「前」の段階として、それまで積み上げてきた人生すべてという<ステップ0>があり、結局就活の成否は結局この<ステップ0>がもっとも大きく響くと主張されている。<ステップ0>とは何か、少し長いが、引用する。

小さい頃からコツコツとマンガやイラストを描き続けてきた人。商社マンだった父親の転勤とともに世界中で青春時代を過ごしてきて、英語、中国語、日本語がネイティブ級な人。親が病気がちで、中学生の頃から家計を支えようと頑張ってきた人。小学生の頃からコンピュータに興味を持ち、大学生の時にプログラム言語のリファレンスブックを出版しベストセラーになった人 --。

 今の自分は突然誕生したわけではない。生まれてきてからの一日一日があって、その結果の積み重ねとして今日の自分がいる。生まれてこのかた、何を考えて、どんな行動をしてきたのか。過去に自分が繰り返してきた何千万回、何億回もの選択の結果によって、自分は現在、ここにいる。そして、そのたびに繰り返してきた努力によって自分が磨かれていく。就職活動ではその全てが問われるのだ。(「<就活>廃止論」p.43)

これを読んで、ある意味大きな衝撃を受けたのだが、どういう意味で衝撃を受けたのかというと、実はアメリカなどで行われている大学入試が、まさにこの<ステップ0>が問われるものであるということに、そしてそれが日米の若者の教育環境の差を示唆しているということに衝撃を受けたのだ。

アメリカには大学個別の「入試試験」というものは存在しない。すべてAdmission Officeを通したAO入試である。ペーパー試験として、センター試験のような、全国統一試験であるSAT (Scholastic Assessment Test)(またはACT (American College Test))のスコアが要求されるが、大学個別の入試はない。SATやACTは統一試験なので、それほどレベルは高くない。だから、いわゆるトップ大学はこれらペーパーテストによって選抜することは困難だ。

ではどのように選抜が行われるのか。高校の成績、推薦状などの要素もあるが、一番重要とされるのはエッセイ(小論文)である。アメリカの本屋の大学受験関連コーナーには「ハーバードに合格したエッセイ!」などの、エッセイ指南の本も多数見られる。日本のAOの小論文入試などとは違い、試験会場に受験生を集めて小論文を書かせるのではなく、家で書いたエッセイを、SATスコア、高校の成績、推薦状などと一緒に封筒に入れて大学に郵送して「受験」するので、逆に言えば小手先のテクニックは(上位大学では)通用しない。自分がどのような能力を持っていてどのような活動をこれまでしてきたか、そして大学入学後にその経験と能力をどのような方向で開花させるのか、なぜその大学でなければいけないのか、強い説得力と具体性を持って書かなければならない。

もちろん、この制度の弊害もないわけではない。アメリカで上位大学を目指す高校生は、よりよいエッセイを書けるように、非常に「計算高く」行動することが見受けられる。ボランティア、インターンシップ、課外活動などをするにも、その活動がどれぐらいのインパクトがあるのか、受験で有利になるのかどうかという「計算」で選ぶことがままあるようだ。

個人的な経験だが、ぼくがハーバードの院に行くために渡米したとき、9月の学期が始まる前に、同大学のサマースクールでドイツ語を履修した。そのとき、同じクラスに高校生の女の子が一人いた(サマースクールはほぼ無審査で誰でも受けられる)。大変聡明な子で、ハーバードを含め、アイビーリーグの大学を目指していたのだが、かなり難しそうで、駄目だったらプレップスクール(予備校)で一年浪人すべきかどうか迷っていると顔を曇らせていた。ドイツ系移民の子孫ということで、それを強みにドイツ語を強化するためにサマースクールに来ていたようで、コミュニティーでドイツ語を教えるボランティア活動などをしているが、その程度では足りないと言っていた。

そのとき、アメリカの受験の厳しさを垣間みた気がした。なんせ勉強すれば良いというものではないので、いかに人にアピールできる経験を積むか、(おそらく親の協力とともに)ものすごく頭をしぼっているのだ。結局彼女は、ハーバードに合格することは叶わなかったのだが、それでもニューイングランドのかなり高いレベルのリベラルアーツの大学へ進学した(との便りが一年後にあった)。

斯様に、高校時代から「計算」で行動するようになるという弊害は見られるが、しかしこの制度のおかげで、向こうの大学生の入学時のモチベーションの高さは日本の大学生の比ではない。まさに、佐藤が主張する「就活の<ステップ0>」を自己評価することが、大学3年生の後半ではなく、高校生の段階で厳しく求められているのだ。この違いに衝撃を受けたというわけである。

まとめ

ちょっと長くなってしまいました。

佐藤さんは、「新卒一括採用」ではなく、一発勝負でない、一年を通した「通年採用」を提唱していますが(他の提案もありますが割愛)、その一方で、「早くから就活をする」ことも推奨しています。「<ステップ0>を自己評価し、未来について真剣に考える」ことは、大学3年の秋と言わず、もっと早くからやったほうが良いというわけです。

この「早期活動」の主張には大学教員としては、身構えてしまうところがありますが、大学の方の立場としても、学期中の授業計画に支障がなければ早くから活動してもらうのは構わない。とにかく、「授業を休まなければいけない」活動だけはやめてほしい。本当のことを言えば、ぼくなんかは教育実習もやめてくれと思ってるぐらいです。最近は通年でなく半期で成績を出す大学が多いと思いますが、半期というのは授業回数は14〜15回なわけです。そのうちの3回も4回も休まれたらたまったものではありません。ちなみにぼくは多くの授業で「5回欠席で不可」という方針を出しています。

話がそれましたが、授業計画にかぶらない活動でなければ(つまり、土日や夏休みや春休みのインターンシップなどであれば)、早期活動も歓迎であります。

しかしそれ以前に、やはりペーパー入試廃止すればすむ話じゃん、といつもの結論に収斂してしまいます。要するにペーパー入試が、「偏差値ベース」の大学選びを助長し、高校生の「ビジョン」の育成を激しく阻害しているとしか思えません。大学入試で、個別ペーパー入試を廃止し(=統一テストのみにして)、個別入試は、自己評価とポテンシャルのアピールで判定するという形にすれば、なんとも手応えのない日本の高校生・大学生にも、骨太になるのではないでしょうか。高校時代から<ステップ0>の評価を求められるなら、「早期就活」も必ずしも必要でないということになるかもしれません。

以上。*1

*1:関連エントリ一覧です:高校と社会のはざま〜大学を考える(全4回)

  1. [http://d.hatena.ne.jp/ultravisitor/20100216:title=本田由紀「教育の職業的意義」は幻想か (2/16)]
  2. [http://d.hatena.ne.jp/ultravisitor/20100219:title=河本敏浩「名ばかり大学生」における大学批判・入試批判は(論拠は少し弱い気もするが)もっともである (2/19)]
  3. [http://d.hatena.ne.jp/ultravisitor/20100223:title=佐藤孝治「<就活>廃止論」から大学を考える (2/23)]
  4. [http://d.hatena.ne.jp/ultravisitor/20100225:title=高校と社会のはざま〜大学を考える:まとめ]