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結局、ノートを取らせる教育がダメなのかも?

前回は、日本と欧米の大学生の授業に臨む姿勢の違いを、ノートを取る取らないの観点から記したのですが、今回はそれの付記を。

日本の学生はノートを良く取るけど大人しくて授業中のリアクションが小さいと前回書きましたが、思うに、ノート取ってたら発言できないのも当たり前だな、と。そう考えるに至りました。

基本的に、ノート取りながら授業を聴くってなかなか大変です。聞いたことを自分なりに整理して書き留めているその間にも授業は進んで行くわけですからね。それで、授業内容に対して手を上げて発言しろと言われてもやっぱり難しいのではないか。

だから、日本の大学生の授業への積極的な参加を求めるならば、教える方も「ノートをきっちり取らせる」授業から脱却しないといけないのではないか。大学の先生は「最近の学生はノートの取り方もしらない」とか言いますが、実は、ノートを取らせる授業自体が間違っているのではないか。

もちろん、ノートをきっちり取らせる授業がマイナスばかりというわけではありません。ぼくの授業はどちらかというとノート取りやすいように誘導する「ノート取らせ授業」ですし、それによって、確実に、効率よく教えたいことを伝えることができます。留学生の授業の試験とうちの大学生の試験を比べると、後者の方が、「そうそう、ぼくの言ったことよく聞いてるね!」という解答が(相対的に)多く、気持ちのよいものですし、それ自体悪いことではないでしょう。

ただ、先生の言うことに従順に従う学生ばかり作り出して、今の日本の閉塞感を突き崩すことができるだろうかという思いもやはりあります。

ぼくの月曜の授業は、比較的少人数の、うちの学生向けの講義と、留学生向けの授業が連続します。その二つの授業における、質問の数の違いは圧倒的です。

前者の、うちの学生向けの授業は、最近かなり専門的な話になっているので、学生もぴんとこないことが多いはずです。しかしそれでも、「質問は?」と何度言っても質問が来ません。授業終わったあとに個別に質問が来ましたが、授業中はゼロ。こちらとしても、授業の随所に補強的な説明を加えたいんだけど、質問がないと次の話題に進めざるをえないんですよね。

一方、後者の留学生向け授業は、「質問ありますか?」と聞くまでもなく、手が挙がっています。もちろん、質問するのは割と決まったメンツなので、全員がまんべんなく質問するわけではありませんが。

いずれにせよ、両者を比べると、日本の学生の大人しさには、正直大丈夫かいな?と心配になってしまいます。

話は変わって、最近のぼくの蝉の授業は、蝉生による発表をやってもらっていて、発表後に、コメントや質問を他の蝉生に言ってもらうんですね。で、うちの蝉の男性軍はかなり積極的に発言するんですが、女子学生が大人しい(それは男女差というわけではなく、たまたまそういうキャラ)。で、待っていても女子学生からコメントや質問が来ないんで、当てるんですよね。すると、「質問はないです」と言う。これには2パターンあって、「何を質問したらいいかも分からない」というパターンか、「特に疑問はないです」というパターン。今日はこの2パターンが連続したんですよね。

で、ぼくは今日思わずツッコミを入れてしまいました。「君らね、『全くわからん』か、『疑問もない』か、いつも両極端なんだよね。その中間はないの、中間は?!」と。普通、人の発表聞いたら「ここまではなんとなく分かったけど、このへんは良く分からん」ってなるでしょ、その「このへんは良く分からん」を質問せい、と。なんで「全くわからん」か「全部わかった」になるのか。

ここで、別の男子蝉生がこう発言しました。いわく「中高で、そういう疑問を持つことが封じられてきたから、そうなってしまうのもしかたがない面もあるのではないか」と。ちなみにこの男子蝉生はもっとも良く質問・コメントをする蝉生です。しかし、彼曰く、中高時代はしばしば、先生の言うことに疑問をぶつけると、「つべこべいわず、こういうもんだと思ってればいいんだよ」的な対応をされることがあったということです。そんなだから、日本の学生の反応は、「わかった」「わからない」の二種類に収斂していくのだ、と。

これには思わず考えさせられてしまいました。結局、日本の「ノートを取らせる授業」と、中高の「先生の言うことに疑問を挟むことが歓迎されない授業」は、根深く絡んでいるような気がします。どちらも、「効率よく知識を吸収させる」のに効果的な方法論なんですよね。

そうして、そういうことの積み重ねが日本の学生像、はたまたは大人しい、物言わない日本の若者像を作り上げて言っているような気がします。

で、ここからは当ブログのいつもの結論ですが、結局入試制度に元凶の一つがあるように思いますね。つまり、ペーパーテストでいい点数が取れりゃ高校も親も嬉しいんだから、七面倒くさい質問や疑問を挟むな、板書をノートに移して覚えていいりゃいいんだ、という風潮を形成しているのでは。

そのあたり、アメリカ型の「自己推薦」の入試制度とは対照的で、かの国ではペーパーテストの占める割合が日本よりずっと低く、むしろ自分がいかに「他と違う能力をもっているか」をアピールするのが肝なので、そのためにも論をたたかわせるという健全な習慣がついているのではないかと思います。

とりとめのない文章になってしまいましたが、ノート取らせるのが本当に良い授業なのか、再考しても良いのではないかとちょっと思います。

以上。