数パーセントの学生にしか効果のない授業改革は本当の改革とは言えない(後)

「崖っぷち弱小大学物語」の感想、最終回。

散々偉そうなことを書いてきたワタクシですが、まあ、断定調に好き勝手書くほうがおもしろいということで容赦ください。で、「数パーセントの学生にしか効果のない授業改革は本当の改革とは言えない」って言うんだったら、じゃ、どういうのが改革なんだよ! と思っておられる方も多いことでしょう。前回書いたとおり、「上澄みではなく、中間層にあたる学生、もっとも典型的で平均的で多数を占める学生のパフォーマンスを底上げするような、そういう効果のある試み」が必要だと思うわけですが、じゃ、それにはどうしたら良いのかということです。

それにはどうしたら良いかというと、結論からいえば、(1) 教えることを減らす、そして (2) 成績評価の基準を上げる、この二つの組み合わせが非常に重要だとオレは思っているのです。強調したいのは、(1)と(2)は必ず両方とも実現しなければならない。(1)だけ実行すればそれはただの楽勝授業だし、(2)だけ実行すれば、それはただの鬼授業。授業内容を平易にして、なおかつ成績評価の基準を上げてこそ、はじめて「中間層」が反応するのであります。

(1)に関して、「教える内容を減らすなんて教員の敗北だ」とお思いになる方もいるでしょう。しかし考えても見てください。「この授業を取るならXXXから△△△までぐらいは知っておかないと」と教員が思っている「XXXから△△△」、学生は試験が終わった後、どの程度覚えていると思いますか? 「忘れるからこそたくさん教えておく必要があるんだ」と言うひともいるでしょうが、本当にそうでしょうか? 教員が知識を披露し、学生はぼろぼろとりこぼしながらも、教わったことが少しでも手のなかに残っているかもしれない。そうであれば教員としては本望だ。こういう姿勢が私語だらけの授業を生んでいるとオレは思っています。学生は「ぼろぼろとりこぼしている」うちに、「とりこぼす」ことに慣れ、授業を真剣に聴く気をうしなうのです。

それよりも、教えることを伝えたい本当の「肝」に絞り、枝葉末節を排除して簡素化して、そのかわり、その「肝」を学生の中に定着させることに注力したほうが良い。その方が、授業が終わった後に学生の中に残るものが結果的に増えるのです。肉を切らせて骨を断つということですね。何かを教えるときには、「これは学生がこの授業を離れたときに覚えている価値のあることだろうか?」と常に自分に問うことが重要だと思います(自省をこめて)。

で、そうやって教えることを簡素化する一方で、成績評価を厳しくする(上記(2)のポイント)。今の一般的な成績評価の基準というのは、教員によってまちまちでしょうが、6割ぐらいが可と不可の境界、8割ぐらいが優と良の境界というのが一般的じゃないでしょうか(根拠なし、ただの憶測)。それを、7割を可と不可の境界、9割を優と良の境界に設定するのです(あくまで目安として)。もちろん学生にもそれをしつこいぐらいにくりかえし強調する。「7割」が可と不可のラインだと言っても学生はにわかには信じませんからね。だからその方針を強調する必要がある。通年授業なら前期終わった時点で試験と平常点あわせて69点だった学生には容赦なく「この成績は不可に相当します」と宣告する(もちろん半分脅しであって、学期末の時点で69点だったら当然通しますけどね)。教員が本気で7割以下を落とし、8割でも良しか与えないつもりだと認識すると、学生は真剣味を増します。

ここで重要なのは、(1)のポイントを実現しておく、つまり、授業の内容を簡素化し、普通にやっていれば90%理解できるようにデザインしておくことです。すると、学生は「やればわかるんだ」という希望が持てる。希望と、「7割以下は不可」という恐怖がうまくかみあったときはじめて学生は真面目に授業を聴こうという気になるのです。

しかし、もちろん学生が「普通にやっていれば90%理解できる」というふうに授業を運営するのは大変なことです。簡単すぎて舐められたら一巻の終わりですからね。適度な難しさを保ちつつ、「あ、でも分かったよ!」という喜びを毎回の授業で与えることが必要です。特に中堅以下の大学の学生はもともと多かれ少なかれコンプレックスをもっており、勉強に対して自信を持ったことがないことも多いので、「分かった!」という喜びには特に敏感です。敏感なんだから、それをコンスタントに与えることができれば授業運営はうまく行きます。もちろん、繰り返しになりますが、もともとやる気のある学生に「分かった!」と思わせるだけでは不十分。中間層の、向学心もなければ予習も決してやってこないような多数派の層に「分かった!」という喜びを与えることができるかどうかが重要なわけです。

以上、「崖っぷち弱小大学物語」に対していろいろ批判的なことを書きましたが、この本が間違ったことを書いているとはまったく思いません。むしろ正しいことが書いてあるし、また、著者は非常に立派な教育者だと思う。こういう「まっとうな教育者」がいてこそ教育はバランスがとれる。学生が授業中に帽子をかぶってようが、飲み食いしてようが、寝ていようが、他の学生に直接迷惑になりさえしなければ何をしようがまったく気にしないし注意もしない主義の(注意しないどころか注意すべきではないとさえ思っている)オレみたいな教員ばかりだと教育界は薄っぺらなものになってしまうかもしれない。しかし、本自体は、「Cランク未満の大学の教員」に対する啓発としてはいかにも内容が弱い、こう思っていろいろイチャモンをつけた次第であります。おわり。