ゲイカルチャーに興味を持ったきっかけ

前回のエントリーは「レイザーラモンHGが<ゲイ系芸人といえばおねえ系>というステレオタイプを破ったところが新しい」と言う趣旨だったのですが、そこを強調したがために逆に「ゲイといえばハードゲイのような感じ」という新しいステレオタイプを推進してしまっているかもしれないとちょっと反省しています。オレ自身、ゲイの知り合い、友人はこれまで何人か出会いましたが、もちろんハードゲイのようなカッコをしている人はおりません。当たり前ですが。

ところで上記のゲイの知り合い、知人というのはいずれもアメリカで知り合った人です。日本ではまだいないですね(間接的な知り合いをのぞいて)。まあ日本に帰ってから2年経ってないということもありますが、まだまだゲイであることを隠さずに生きるのが難しい社会だということもあるかもしれません。もちろんアメリカでも一部の大都市以外ではやはり難しいことには変わりないのではありますが。

さて、オレが「メインストリームカルチャーの中のゲイカルチャー」というものに興味を持ったのはどういうきっかけがあったのかと考えるに、やっぱりハウスに興味を持ったのが契機だったと思います。ハウスというのは食品会社の名前ではなくて、音楽のジャンルです。

4つ打ちのバスドラム・キックを特徴とし、ロックやテクノにも多大な影響を与えたダンス音楽であるハウスは、時期的には1988年ごろから1992年ごろまで、世界を席巻しました。ちょうどヒップホップがオーバーグラウンドで市民権を確固たるものにした時期とも重なり、当時の音楽界はこれら二つの新しいダンスビートを迎え、いわゆるミクスチャーの時期に当たっていました。ちなみにディーライトのデビュー作「World Clique」が1990年発表、プライマル・スクリームの「Screamadelica」が1991年、レッチリの「Blood Sugar Sex Magik」も1991年で、この三作を挙げるだけでミクスチャーを指向する当時の「時代の空気」は感じられるのではないでしょうか。

ちょっと話がそれましたが、そのハウスというのは、もともとゲイクラブから発生したものなんですよね。そのルーツは70年代に席巻したフィラデルフィア・ソウル(フィリー・ソウル)にあり、ディスコによってフィリー・ソウルが滅亡した後も、場所をNYCやシカゴに移してアンダーグラウンドにてディスコのキッチュさとフィリー・ソウルの華美なソウルフルさを融合した音楽が脈々と続いたわけで、その舞台がゲイクラブだったわけです。

初期のハウスについて語り始めるとまたきりがないのでやめておきますが、90年前後はかなりハウスにはまっておりましたので、自然とゲイカルチャーの価値観のおもしろさに惹かれたというわけです。しかも、そういうものを通してメインストリーム文化を観ると、いたるところにゲイカルチャーの息吹が感じられるんですよね。ダンサー、デザイナー、スタイリストなど、美に関わる職業にはゲイの人が多いのでそれも当然なのであります。ゲイの美学に典型的な要素、つまり華美さ、あざやかさ、高揚感、潔癖さ、完璧主義さ、そしてそれら要素を総合したものの裏にある空虚さ、空洞性、この対立とバランスこそがゲイ美学の粋だと勝手に思っているのですが(割に良く知られている曲を例に挙げればクィーンの「I Was Born To Love You」のような世界が典型)、よく考えればそれはエンタテイメントの姿そのものなんですよね。

というわけで、このテーマは戯れにいろいろ思いをめぐらすだけでもなかなかおもしろいものなのであります。

Confessions on a Dance Floorところで、アメリカでのゲイのアイコン的存在の一つにマドンナがいますが、マドンナの新譜良いですね。


久々にキッチュなダンスアルバムになっていて、ゲイ的であります。ハイ。