追悼 スティーブ・ジョブズ

日本時間で今朝,スティーブ・ジョブズが亡くなりました。8月にCEO職を退いたばかり。いつかはこの日が来るだろうと誰もが思っていたでしょうが,まさかこんなに早くその日が来るとは思っていませんでした。多くの人同様,ショックで,悲しい。8月にCEO職を去るとき,「残念ながら,その日が来ました」と述べたときには,今思えば,自分の余命も知っていたのでしょうね…。

ジョブズに特に思い入れのない人には,多くの人がジョブズという一経営者の死を悲しんでいることを不思議に思っているかもしれません。「なんで会ったこともない,外人の,しかもビジネスマンに…」と思われるかもしれません。しかし,ジョブズを失った今の気持ちを分析すると,これは,好きなミュージシャンを失ったときに感じるような気持ちだな,と思います。好きなミュージシャンは友人でも親戚でもありませんが,そのミュージシャンの音楽は個人的な文化・生活に結びつき,思い出と深くつながり,私的な精神生活の一部を形成するものです。だからその人が亡くなると,まるで自分のこころの一部がなくなってしまったかのような気持ちになって悲しくなるわけです。

ジョブズを失う気持ちも同じです。ジョブズの「テクノロジーによって新しいライフスタイルを提案する」というイニシアチブは,ぼくの私的で個人的な文化・生活・精神活動の一部を形成していました。ジョブズが何か新しいことを提案すると,自分の生活にも何か新しいことが起こるのではないか,たとえ錯覚でもそんなワクワクした気持ちにさせてくれた。それがなくなってしまうなんてやっぱり残念だし,それをもたらしてくれた「恩人」を失うのは悲しい。

ぼくが最初に買ったコンピュータは,当時型落ちだったApple PowerBook 180cだった。1995年ごろのことかな。当時まだ出始めであったカラー液晶のノートブック。アクティブ・マトリックスの8.4inchディスプレイはくっきり色鮮やかで美しく,メニューバー左端の虹色の林檎のアイコンが,「テクノロジー」の持つ堅苦しいイメージとはかけ離れた,何かゆる〜い雰囲気をかもしだしていて,このマシンを使えば何か楽しくクリエイティブなことができるのではないかという気持ちにさせてくれました。当時はジョブズはいなかったけれども,マジックはまだ生きていました。以来,ずっとMacを使っています。

90年代後半のAppleのどん底期も経験しています。あのころの2ちゃんねるのMac系の板は荒れに荒れていました。世間でも,Mac使っているなんてアホじゃないの?ぐらいの勢い。それでも当時はアメリカの大学院にいて,日本よりは圧倒的にMacユーザが多くて,まだ良かったかな。もしあの時期に日本にいたら,「なんでMacなんて使っているの?」というプレッシャーに耐えられたかどうか。

1997年にジョブズが復活して,既存の製品ラインをばっさばっさ切り捨て始めて,その「荒れ」は最高潮に。当時のAppleは,創業者ジョブズのフィロソフィーを曲げて,互換機ライセンスを行っていたんですが,それも切り,PDAデバイスのNewtonも切り,クアドラ初め,デスクトップモデルも軒並み切り…当時は「殿のご乱心」とか,あるいは「かつて追い出された恨みでAppleを潰そうとしている」などと言われていました。MicrosoftがWindowsのライセンス戦略により結果的に多彩なハードウェアを間接的に提供して成功を欲しいままにしていた時代に,多様性をすべてリセットしようとしたジョブズはいったい何を考えているのか,理解しろといっても無理でした。

しかし,半透明の筐体を持ち,モニター一体型でフロッピードライブさえついていない「iMac」が1998年に発表されると事態は変わり始めます。iMacは大ヒットし,当時在籍したアメリカの大学の学内メール端末はあっというまにカラフルなiMac一色になり,iMacのパクリのようなマシンが大量に市場に出回りました。

それでも,人々はまだ疑心暗鬼でした。しょせんiMacは一発屋ではないのか。そのころから,ジョブズMacWorld Expoの基調講演は有名となり,その話術から,ジョブズは「現実歪曲フィールド」を発生させるとも言われました。当時はAppleの業績がジョブズのビジョンに追いついていなかったので,ジョブズの言葉がどうしても現実味をもって捉えられなかったのであります。

2001年にiPodが発売されたときも,人々の反応は正直「ハァ?」という感じでした。デジタル音楽プレイヤーは普及していなかったものの,当時すでに何社もが出していたし,それに比べてiPodのどこが「斬新」だったのか見えにくかった。5GB, 10GBという容量は当時のプレイヤーとしてはかなり大きかったけれども,「そんなに曲数入れたって聴ききれないじゃん(笑)」という反応が多かった。何より,高かった。

当時のジョブズはMacを「ハブ hub」にするというデジタルライフを熱心に説いていたけれども,それに理解を示す人は少なかった。「ハブとか上手いこと言って,iPod売るために後付けで適当なこと言ってるだけちゃうのん?」と思われていたふしもあります。ぼくもちょっと思っていました(笑。

しかし今思えば,「本気」だったんだな,と。10年まえから,まっすぐ,ぶれず,そこをずっと見据えていたんだな,と。痛感します。2003年にはiTunes Music Store(のちにiTunes Store)を開設,2007年にiPhoneを発表,同時に社名を「Apple Computer, Inc」からComputerを取って「Apple, Inc」に変更。2010年にiPadを出す頃には誰もジョブズを「現実歪曲フィールド発生装置」と呼ぶ人はいなかったし,発表当時冷ややかに観られたiPodと違い,iPadは期待と賞賛で迎えられました。同年にはついにApple時価総額マイクロソフトを抜き,翌年8月には時価総額が全米一になるなど,「Mac使う奴はドM」と言われていた(って,当時は「ドM」という言葉はなかったですが)時代を知る人間にとっては本当に感慨深い。そして同月にCEO退任,2ヶ月後に死去…どんだけ壮絶なんだ,あんたは!

ジョブズが世に送り出してきたものは,技術的にいえばどれも「世界初」ではなかったし,「斬新な発明」でもなかった。アンチAppleな人たちは常にそこを突いていました。しかし,ジョブズが提示した「新しいテクノロジーがもたらす新しいライフスタイルの未来像」は,常に一貫性があり,斬新で,かつ居心地が良いものだった。「良い商品を世に出す」だけではなく,その先にある「人生」まで徹底的に見据えていたのが,他のエレクトロニクス系の経営者と決定的に異なるところだった。

iPhone 4iPad 2,そしてMacBook Airジョブズが残したこれらの最新の三機はそれぞれの分野で最高のガジェットだと,多くの人が認めることでしょう。それを使い倒すのが,偉人ジョブズへのせめてもの手向けだと思っています。

Thanks a million, Steve!!!