ネタバレ

このドキュメンタリーの、映画の中で語られない「更なるどんでん返し」とは何かというと、このドキュメンタリーはフェイクだということです。つまり、ヴィクター・ペレリンなどというアーティストは存在しないし、出てくる人は全員仕込みであるということです。

この事実が分かった瞬間、この映画への解釈が大きく転換し、同時に深みを増します。

この映画の本当のテーマは「真実とフェイク」なんですね。まず、この「ドキュメンタリー」に映されるアート業界は、どこかスノビッシュでフェイクっぽい。いや、すごくリアルなんですよ。実際のアート業界は多かれ少なかれこれに似た雰囲気で、価値が本当にあるかどうかわからないものに価値が上乗せされる虚構にみちた世界なわけです。この「ドキュメンタリー」で、皮肉的な画商が、「アートの世界なんてhoax(まがいもの)だ!」と吐き捨てるように言うのですが、こういう考え方をする画商というのは実は少なくないと思いますね。さらに、「hoaxであるからこそアートなんだ」と考える人さえいるでしょう(横尾忠則アンディ・ウォーホルはそう考えているように思えます)。そういう微妙なバランスを根底からぐらぐらと揺らしてしまう事実が、このドキュメンタリーそのものが「hoax」であるという事実で、このこと自体が、アートというもの、あるいはアートの業界というものに対して何らかの提言(肯定的であれ否定的であれ)をしているのは明らかであるように思えます。

さらに、「主人公」たるヴィクター・ペレリンは天才画家であると同時に、贋作画家であったことも劇中にて明らかにされます。しかし、「贋作画家でもあった天才画家」自身が「フェイク」だったということも、騙し絵のような構図を醸し出していて興味深い。

監督のSophie Deraspeはこの映画で語りたかったことは何なのか? フェイクとは何で、真実とは何か、その境目は本当にあるのか。そういう問題提起を我々に突きつけようとしたようにも思えるし、ただ単にイタズラとして観客をからかっただけのようにも思えます。

いずれにしても、真意は明らかでなく、さらに、インターネット上をみても、この映画に関する議論はほとんど見られません。カナダ映画というマイナーさもあると思いますが、同時に、このドキュメンタリーがフェイクということが観客には示されていない(ぼくは観劇後、インターネットを調べた結果分かりました)ので、フェイクである事に気付いていない人も多いということもあろうし、さらに、フェイクであると分かっている場合でも、それをばらしてしまっては映画をスポイルしてしまうので、このドキュメンタリーがフェイクであることを前提にした議論もおおっぴらにできないということもあると思います。

たいへん面白い試みの映画だと思うのですが、上記のような事情で、非常に過小評価されてしまい、映画の歴史の中で消えていってしまいそうなのがちょっと残念です。