文系・理系、選択は入学後 ICU、来年度から新制度

 国際基督教大学(ICU、東京都三鷹市)が来年度から、新入生全員を特定の学科などに所属させず、2年次の終わりに所属を決める新制度を導入する。「(進路を)決めてから入る」から「入ってから決める」への転換で、文系、理系を問わず幅広く進路を選べるようになる。同大学が売り物とする教養教育を充実させるのが狙いで、全学的に徹底するのは国内の大学では珍しい。
(中略)
 ICUの日比谷潤子・教学改革本部長は「入学後に試行錯誤でき、ある分野が自分に合わない場合も簡単に分野を変えられる。より幅広い分野を学ぶことも可能になる」と話している。

http://www.asahi.com/national/update/1013/TKY200710130210.html

大学4年のうち「前半を教養、後半を専門」とする教養部教育システムが崩壊して久しいですが、東大などでは今でも入学時点では文科・理科それぞれI、II、III類という大枠の分類に留めて教養教育をし、3年目から学科に振り分けるシステムを採用しています。ICUの上記の新制度は、文理の別もなくしたアメリカ型の教養教育を導入したという点で非常に注目される制度だと言えるでしょう。

ぼくもアメリカの大学院に進学したとき、アメリカの学部教育にはそもそも文理の区別がないことに驚いたものですが(てゆうか、「学科」はあってもそもそも「学部」という単位が存在しない)、超エリート大学も含めてそういうシステムになっているのですから、「1、2年のうちから専門教育をやるべきだ、やらないと専門教育のレベルの低下が心配される」という日本では根強い主張も、果たしてどれほどの経験的に正しいのか、議論の余地がかなり残されていると思います。

大体、大学入学時に学科を決めなければいけない現行のシステムってどうなのよ。大学教育がどのようなものかも分からない高校生のうちに、進学する専門分野を決めてしまわなければいけないなんておかしいでしょう。さらに、多くの大学の多くの学科では、2年次からゼミを開始します。これは、卒論に繋がる専門分野・トピックを2年次に決定するというシステムで、これまたおかしいと思う。大学1年なんて、右も左もわからない状況。なのに大学1年の終わりには「さあ、卒業研究にしたい専門分野は何ですか? 決めてくださいね!」と迫られるわけで、これまたおかしな制度です。学生は、決めろと言われてもよく分からないので、結局「先生がやさしそうだから」とか「友だちが志望しているから」とか、あるいは「この先生は顔を知っているから」(大学1年生ですから、学科の先生にどんな人がいるかも把握していないのです!)などの、非学問的理由でゼミを決定したりするのです。

しかし、かくいうぼくもいちおう専門教育と呼ばれるものに携わる者の端くれですので、「3、4年だけの専門教育では心もとない」という気持ちも良くわかります。最初の2年を教養教育に当てた場合、入門レベルの科目は教養科目の一部として開講できるから良いとしても、専門科目を3年次開始にするのは確かにちょっと恐いというか、「そんなに遅く始めて大丈夫か」という気になります。

ただ、「3年次から専門では遅い」という考えも、「1、2年次に単位の大半を取り、3年次はゼミとちょっとだけ、3年次後半から4年次前半は就職活動で大学に来ない、4年次後半は卒論書き」という日本のいびつな教育システムに拠るところが大きいと思いますね。日本の大学教育は「1、2年次偏重」に過ぎるんですよ。特に、「4年次に学生に学業的負荷をかけるのは罪悪」という滅茶苦茶な風潮がある限り、日本の大学教育はまともなものにならないと思いますね。大学で学ぶことが華開くのが4年目のはずなのに、その4年目に「就職活動の邪魔になるので教育をしてはいけない」ということになっているのですから、日本の大学教育のレベルも大したことないという感じです。

結論としては、いつも通り。企業の新卒信仰がある限り日本の大学教育は良くならない。アメリカのエリート大学と呼ばれるところの学生は、4年間目一杯勉強して、卒業後半年か1年ぶらぶらしたり、場合によっては旅をしたりして、それから仕事探しますけどね。卒業前に就職決めなければフリーター人生が待っている日本とは学生の学びの姿勢も違うというものです。

とまれ、ICUのこの試みには敬意を表したいですね。いろいろ大変なこともあろうかと思いますが、大学教育の在り方に一石を投じる成果をぜひ挙げて欲しいと思います。