履修漏れ問題3

http://blog.goo.ne.jp/ted21century/e/b8d0a29aa9d538cb76db86afe0745248

これを契機に必修科目の削減が提案されてくるようでは絶望です。何を,どのように,何のために学ぶのか,人間の教育とは何なのか,突き詰めて考えて欲しいです。教育再生会議の顔ぶれを見ていると世間の向こう受けするメンバーは集めていますが,本当に意味のある結論が得られるとは期待していません。受験テクニック競争の行き着く果てに何も果実が無いことを教育関係者は肝に銘じるべきです。

うーん、オレの目からするとこういう発想こそ何も生まない気がするんですが。

教育関係者が肝に銘じなければいけないのは「受験テクニック競争の行き着く果てに何も果実が無い」ということではなく、「受験テクニック競争の行き着く果てに何も果実が無いとどんなに口泡飛ばして力説しても、結局高校生とその親は受験を最重視する」ということでしょう。そこから出発しないと、いつまでたっても「学習指導要綱\(^o^)/オワタ」という状況は変わらないでしょう。

結局、受験制度の方とセットで考えないと、何やっても無駄ですよ。

一つの手としては、「大学入試科目には学習指導要綱の必修科目を必ず入れる」と政府が決めることですね。そうすれば皆頑張って勉強しますよ、世界史だって情報だって家庭科だって。

しかし、700ある全国の大学が毎年毎年学習指導要綱にそった科目の入試問題を作るなんて、教育・研究リソースの無駄遣い、馬鹿げたことです。(ご存じのない方に説明しますと、大学の入試試験というのはすべて大学の教員が作成し、すべて大学の教員が採点するのです。)現状でも十分馬鹿馬鹿しいことだとオレは思っていますが、それがさらに馬鹿馬鹿しいことになります。日本の大学の研究レベルは地に落ちるでしょう。

だからやっぱり大学個別筆記試験廃止、これしかないですよ。今だって個別大学筆記試験は無駄なんですよ。例えば英語の試験を考えてみましょう。毎年毎年、全国の700ある大学がそれぞれ異なる英語の試験を膨大な時間をかけて作成しているんですよ。それにどんな教育的意味・意義があるのでしょうか? ありません。皆無です。ただ、制度上の問題で、問題づくりをやめるわけにはいかないだけです。英語なんて上級・中級・初級と3種類ぐらいの試験を作れば全国の高校生の大体の学力は計測・差別化できるはずです。もしそれを年3回実施したとしても9種類の試験をつくればいいんです。しかし現状では何千種類もの英語の試験(一つの大学では何種類かの試験問題をつくりますから)を毎年毎年毎年毎年つくっては捨てる。意味ねー。

大学個別筆記試験廃止したら学力が低下するという心配もあるでしょう。でもそのかわり高校生は今以上に「大学へ行くことの意味」を考え始めますよ。「何を,どのように,何のために学ぶのか」…それを高校生に考えて欲しいなら、大学個別筆記試験をやめてしまうのが一番の近道でしょう。

てゆうか、そういう論調がブログやら掲示板やらマスコミにあまり見られないのが驚きです。