授業公開を体験

いわゆる一つの「FD活動」として、うちのガッコでも初めて授業公開の試みがなされました。一週間だけ、うちの学部の講義から10コぐらいが、「教員・職員だれでも参観可」として公開され、参観する方として参加しました。まあ、いろいろ問題含みのなか、半ばしぶしぶ参加したんですが、結論から言えばとても良い企画だと思った。

少子化のこの時代ですから、講義をいかに良くするべきかということはどの大学でも多かれ少なかれ話題にのぼることであると思うのですが、他の人がどういう講義をしているかというは実質分かってないわけで。オレも、同じ学科のなかの同じ分野の先生なら入門の授業を分担担当しているんでだいたい分かるんですが、それ以外は同じ学科でも分からないし、他の学科の先生なんてさらにわからない。

で、やっぱり興味はあるわけです。他の先生がどういう講義をしているのかということは。半ば恐いもの見たさというか。最近は、授業評価アンケートの結果も少しずつ公開されているので、「へえ、あの先生は見かけによらず(?)けっこう人気あるんだなあ」とか「あの先生は予想通り評価低いなあ」とか、思ったりします。そんななか、評価の高い先生はどういう授業やっているんだろうとやはり興味がでてくるわけです。

そんななか、今回、他の授業を観る機会にめぐまれたわけですが、おもしろいですね、他の先生の授業は。参観期間が一週間しかないということで、時間の都合で2つしか参観できませんでしたが、もっと観てみたいと思いました。てゆうか、参観するまえは、「なるべく2つぐらいは参観してくださいネ」というお達しに「え〜2つも観んの〜? 合わせて3時間のロスやんか!」と思っていたんですが、もう1つか2つぐらいは参観しても良いかなと思った。

今回観た2つの講義(ともに他学科)も、それぞれまったく違うスタイルの授業で、教えるスタイルも違えば、学生の講義に対する姿勢も違う。1つは若い、同期の先生の授業で、授業評価でもけっこう評価の高い先生で楽しみにしていたんですが、比較的大人数クラス(80人ぐらい?)にも関わらずインタラクティブな授業で良かった。ハンドアウトもスライドもなく、板書きが少々の授業でしたが、戯曲を題材にフェミニズムの話をしていて、軽快な話術もさることながら、学生に考えさせるように常にしむけて、実際教室でマイクを回して学生に次々と意見を言わせるスタイルは「使える」と思いました。オレも大人数教室でも積極的に学生に質問を投げますが、インタビュー形式でマイクを学生に向けるスタイルですので、学生が嫌がるんですよね。そっか、マイクを預ければ良いのか。そうすれば答えざるをえない。

もう一つの講義は年配のキャラクターの濃さでしられる先生の講義で、こちらはこちらでまったく違う。ハンドアウトもスライドも、そして板書きもほとんどなく(テキストはあるらしい)、講談師のようにひたすら語る授業。ただ、上滑りしないように、ゆっくりと、はっきりと、確実に言葉が届くように注意深くように言葉を紡ぐ感じ。1つめの講義は場面によっては学生の私語でざわつく瞬間もあったのですが、こちらの授業は私語が皆無。講義の内容を書き漏らさないように学生が黙々とノートを取っているのが印象的でした。ただこのスタイルは学生を選ぶのか、教室の大きさに比して学生数は少なめだったように思います。オレはテキストをもってないので、90分は辛かったけれども、テキストを持っていたら違ったかもしれない。

こうなると、他の講義がどうなっているのかも興味が出てきます。

ちなみに、公開している講義の一覧、時限、簡単な内容の紹介を手に教室を回ったんですが、なんだか文化祭でパンフレットを手に「どの展示みにいこうか」とうろうろする気持ちに似て楽しかったです。まあ、「回った」といっても、中途入退場は許されないので、文化祭を観るようにつまみぐいしたわけではないですが。

最後に、感想を書いて学部事務に提出したんですが、これが記名式なので書きにくいことこのうえない。記名式じゃなくても、だいたいツラは割れているんで、まあ、同じようなことですが。とりあえず、記名式だと批判は書きたくてもとてもじゃないけど書けない。批判っぽいことを書くときには、何重にもオブラートにつつんで、遠回しに遠回しに、「読みようによっては批判にとれないこともない」レベルになるように注意したりね。逆に、無理矢理にでも良いところを探して褒めたり。結果、本音半分、偽善的社交辞令半分の感想になりました。

というわけで、学生の授業評価アンケートを記名式にしろ!と言う意見がいかに気の狂った意見か、身を以て実感しました。これが一番の収穫だったりして。