さて、この夏にテレビを見ていて、報道番組を見ることがやはり多かったのですが、やたらと目にしたのが中国商品叩き報道です。粗悪品、類似品、有害食品、著作権侵害。特に、中国を率先して搾取してきたアメリカが、実は人一倍(人じゃないか)こういうことに神経質な国であるので、「China Free」なんてステッカーの商品もあったりして、叩かれていますね。北京オリンピックを控えて、中国は本当に「先進国」の一員としての資格・(今はやりの言葉でいえば)品格があるのかどうか、世界の厳しい目がそそがれているという要因も大きいかと思いますが、でもまあ、これは中国にとっても良い機会だと思います。「先進国」たるには「紳士」でなければいけないんだと思うのですが、その「紳士」のマナーとはいったい何か、オリンピックを前にしていつになく中国が気にしているような気がします。
中国だって歴史的に見ればかつては圧倒的な「先進国」だったわけで、ちょっと近代化が遅れただけでこんなに叩かれるのも悔しいという思いもあるかもしれませんが、「ヒドすぎる」事例が実際に多いのだから叩かれるのもしょうがありません。で、なぜ中国の製造者がこんなにダーティーなイメージで見られるようになってしまったのか、ちょっと考えてみました。
「ごまかしても不誠実でも、競争に勝って金がもうかればそれでもいい」という風潮が蔓延したのがその根本的背景だと思うのですが、そういう風潮が蔓延した背景にはやはり、「共産主義政権の下で市場経済」といういびつな社会経済形態があったのではないかと素人ながら思ったりします。だってそもそもおかしいもん、「共産主義で市場経済」って。共産主義といえばやっぱり計画経済だよね〜。私有財産という概念とまっこうから対立する共産主義がなんで市場経済なんだと。この矛盾が健全な市場の生育を阻害しているんじゃないかという気がしますね。
思うんですが、健全な市場が育つにはやはり、「職人気質」というものがある程度必要だと思うんですよ。「職人気質」というのは、要するに「コストを度外視してもクォリティーに対してこだわる」ということでしょう。これがなければ誠意のある企業は育たない。コスト競争は市場経済の基本だけれども、コスト競争で勝てばいいってもんじゃないという職人気質が企業の中にないとやっぱりいびつな市場になってしまうのではないかと。こうシロートであるオレは考えるわけです。
日本の高度経済成長期にはこういう職人気質があったような気がします。それがあったからこそ、「極東の敗戦国」の製品が世界的に「高クォリティー」として認められて、最終的には世界市場で勝てるようになったのではないかと。ええ、乱暴ですとも。ええ、一面的ですとも。
で、日本でも最近そういう気質がなくなりつつあるのではないかと思うわけです。「成果、成果」と連呼されるようになってからはその傾向に拍車がかかっていやしまいか。無駄なコストをひたすら敵視し、削れる経費はどんどん削り、ブルーカラーの労働者が生活に窮し、資本家が厚遇される「正統な競争社会」の構図のなか、馬鹿正直なまでに着実な商品のクォリティーというものがなんだかだんだん下がってはいないか。「数値目標」が連呼される中、「職人気質」のような数値化できないものに対する評価が下がってないか。気のせい? なんか最近偽装ばっかりだしさあ。偽装ってようするに「騙してでもごまかしても、とにかく勝てればいいんだ」という精神風土からうまれるものでしょ。
中国は他所の国だからともかくさ、大丈夫かよ日本、って思うわけですよ。で、結論はいつもと同じ、ネオコン、ネオリベ死ねと、こうなるわけで。ちゃんちゃん。