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右往左往その3:亀田親子と右、左

ketketさんが右往左往シリーズ(とオレが勝手に呼んでいるもの)で亀田親子の話を出していたので、それについて思ったことを。ちなみにこっちで好き勝手に書いてますが、ketketさんにおかれましては、どうぞ華麗にスルーしてくださって結構です。

ボクシングの亀田親子、嫌ですねえ。オレも多分に漏れず虫酸の走るような思いで状況を見ておりました。といってもオレはテレビ持ってないんで、一挙一動をすべて見ていたわけではないんですが、まあ今はインターネッツでおおよその情報をフォローできますからね。もちろん計量でキレる亀田親子の動画も観ました。んで、2chで実況観ながら「負けろこのクソガキ!!」と祈ってました。

で、ああいうのにムカつく気持ちというは誰でも持っていると思うんですよ。「アナウンサーが丁寧語使ってるんだからタメ口使うなボケ!」とか。伝統や文化を守りたいという気持ちは多少の差こそあれ誰だって持ってますしね。文化的な保守主義は多かれ少なかれ誰の心にもあるわけです。

ただ、それは「政治的に保守主義」であるかどうかという問題とは直結しないと思うんですよね。

例えば、人が亀田親子の傍若無人な無礼さについて怒りを感じたとします。怒りを感じたら、次の段階としては、人はできればその怒りの原因を排除したいと思うでしょう。日本全体的に日本の伝統的美意識をもう少し尊重してもらうような流れがあっても良いんじゃないか、そこまでは誰でも無意識にでも考えると思う。ではそれを実現するにはどうしたら良いか。

こういった国民の文化や生活様式といった問題に対し、政治的な介入を厭わない、あるいは積極的に進めるべきだと考えるのが(政治的)保守主義。一方、こういう問題は人々自身の努力によって解決すべきだ、人々の文化意識を高める努力をすべきなのは人々自身だと考えるのがリベラリズムであります。

ちなみに、ブッシュを初めとする新保守主義ネオコン)は、小さな政府を強力に推進(経済・福祉・医療などにおける政府の役割を縮小)する点で、リバタリアニズム(古典リベラリズム)の流れを受け継いでいますが、文化的な問題についていえばネオコンリバタリアニズムは鋭く対立します。ネオコンが文化や生活様式という点でも積極的に政治統制を進めたがるのに対し、リバタリアンは文化に対する政治介入を一切否定するからです。小泉、安倍も文化・生活様式に対する政治介入に積極的なのは皆さんご存じの通りです。

とにかく、文化的な問題に政治介入を是とするのが(政治的)保守主義ですね。一方、(政治的)リベラリズムにおいては、例えば、亀田親子の行動・振る舞いについて不快感を表明したり批判するのはアリですし、伝統回帰的な文化活動を行うこともまったく問題ありませんが、このような文化的な問題を政治的に解決することには否定的です。まあ、これも程度問題ですけど、基本としては、文化の政治的統制を是とするのが(政治的)保守主義で、否とするのが(政治的)リベラリズムでしょう。

だから、文化的に保守主義でも政治的にリベラリストであることは十分ありえることです。伝統・国を愛することとリベラリストであることが矛盾しないと前回書いたのはそういう意味です。無礼な若者を観て憤りを感じたからといって即(政治的)保守主義ということにはならないとオレは思いますね。

関係ないけど、昭和天皇今上天皇リベラリストですよね。「象徴」という位置だから当たり前といえば当たり前なんだけど。