著作権保護期間延長はクリエイターのためになるか

「著作権者」の、文化を冒涜するような一連の行動には常々怒りと危機感を感じているのですが、著作権保護期間延長問題について小寺信良さんが簡潔かつ端的な言葉で問題を切り込んでくれていますので、ここにメモしておきたいと思います。

著作権保護期間延長はクリエイターのためになるか

 著作権法は、体系として著作者人格権と、著作財産権に大別できる。著作者人格権は、「著作者」が持つベーシックな権利で、公表権、氏名表示権、同一性保持権などから成る。主に作者の名誉に関する権利だと言える。一般に著作権は放棄できないとされているが、放棄できないのはこの人格権のほうである。…もう一つの著作財産権は、著作物の財産面に関する権利であり、こちらは契約によって譲渡できる。…これからわかるのは、「著作者」と「著作権者」を混同してはならないという事である。著作者はコンテンツを作った人で間違いないが、著作権者は著作者と同じではない場合が多い。「権」の字が入るかはいらないかだけで字面が非常に似ているが、その立場は全く違う。

 さて、ここまで整理したのち、もう一度著作権保護期間延長賛成派の意見を読むと、おかしな事がわかる。著作権者としての主張なのに、いつのまにか立場が著作者にすり替わっているところが見受けられるのである。…筆者が気に入らないのは、著作権者側の物言いが、著作者のそれに「なりすましている」としか思えないところだ。

 …財産権を持っていない著作者およびその子孫にとって、いくら保護期間を延長しようとも無関係である。むしろ才能ある著作者からいかにうまく財産権を奪い取るか、そしてその奪い取った者の子孫だけが得をするという、著作者にとって非常にヤな世の中になる可能性さえ出てくる。これではクリエイターとしてのモチベーションは、むしろ下がる一方である。
 現在の著作権法では、人格権のほうは一身専属性の原則により、著作者自身の生き死にと分離できない。だが財産権のほうは分離して、どんどん強化されつつある。
 …著作物の制作促進、また利用促進の双方から見ても、保護期間を延長するロジックに正当性は見られない。さらに言えば延長論の主張には、ストレートな「社会的正義」が感じられないのである。著作先進国として恥ずかしくない結論がだせるよう、考えていかなければならない。

著作者というのは過去の優れた著作を栄養に新しい文化を紡いで行くものです。また優れた著作者が正しく評価されるためには、著作物の受け手(聴衆・観衆・読者)の批評眼の高さが必要となります(クソリスナーの中ではクソアーティストしか育たない)。文化の発展には、文化が正しく、そして潤滑に「循環」することが必要になります。いわば自然界の食物連鎖のようなものです。生き物は死に、土に帰り、草木となって動物を育て、その動物は死に、また土に帰ります。その正しい連鎖にバイパスをつくってうまみを吸い取って肥え、文化を土に返すことに抵抗する者どもがいます。

文化に無知な政治家が狡猾な彼らの似非正論にだまされないよう注視する必要があるといえます。