右往左往その2:ケーススタディ

前回の話はオレの中ではわかりやすいように書いたつもりだけど、「よくわからない」という声もちらほら…orz

くそっ、じゃあ今回はもっと具体的なケースで書くぞ!

きほん

リベラリズム(左)とは、人が生きる喜びを追求する自由を重視するイデオロギーであり、保守主義(右)とは、伝統の保守を重視するイデオロギーであります。

以下、さまざまな問題と右・左それぞれの立場との「相性」を独断的に書きなぐってみたいと思います。これを通して、前回の抽象的な話が少しでも分かりやすくなれば幸いです。

民主主義と右・左

民主主義とリベラリズムの相性は当然良い…というか、民主主義はリベラリズムよって勝ち取られた政治システムであります。

保守主義と民主主義は矛盾しません。ただ、保守主義の台頭の背景には民主主義に対する批判があります。

戦争と右・左

これは前回言った通りです。戦争という外交手段は、「人が生きる自由」を一時的に国に預けるため、短期的にはリベラリズムと論理的に矛盾します。しかし、長期的な視点では必ずしも戦争とリベラリズムは矛盾しません。例えば戦争しないことによって「人が生きる自由」が奪われることが明らかな場合など。事実、歴史上、欧米では多くの人がリベラリズムの精神を守るために血を流しました。

保守主義と戦争の間には、リベラリズムと戦争の間にあるような論理的矛盾は存在しません。

伝統・国を愛することと右・左

伝統・国を愛することとリベラリズムの精神はまったく矛盾しません。

保守主義においては伝統・国を愛することがイデオロギーの中心に据えられているということは前述した通りです。

伝統・国を愛することを無理強いすることと右・左

伝統・国を愛することを無理強いすることはリベラリズムの精神と矛盾します。伝統・国を愛さない自由もあるからです。

伝統・国を愛することを無理強いすることと保守主義は大きくは矛盾しません。保守主義においては個人の自由よりも伝統の保守が上位に置かれているからです。

政府の役割と右・左

さあ、このトピックがもっとも入り組んでいて難しい。

保守主義というのは、その概念の成り立ち上、経済に関しては多くを語らないので、どういう政府が保守主義にとって一番良いのか、イデオロギー的に導きだすのは容易ではありません。文化的側面に絞っていえば、伝統保守を積極的に推進するような啓蒙的な政府が望まれると言えるんでしょうが。

いっぽう、リベラリズムにとって理想の政府とはなんでしょうか? これが難しいんですね。もちろん、文化的に言えば、特定の文化的伝統を押し付けるような政府はリベラリズムにとって願い下げであるということは言えます。

しかし、経済的には? 「個々人が生きる喜びを追求する自由」を最大限に実現する経済システムとは?

これには二つのまったく異なる考え方ができます。

一つには、「個々人の自由を尊重するなら、政府は文化だけでなく経済についても口をはさむべきではない」という立場です。国営否定、独禁法などによる市場介入にも否定的、福祉や医療も各自勝手にやればよろし。こういう考え方を古典リベラリズム、またはリバタリアニズムと呼びます。リバタリアニズムに「グローバル統制」を加えると新自由主義(ネオ-リベラリズム)になります(たぶん)。さらに文化的リベラリズムを引いて対外強行主義を加えると新保守主義ネオコン)になります(た、たぶん)。ああややこしい。しかもさらにややこしいことに、ネオ-リベラリズムは、アメリカのレーガン、ブッシュや、日本の小泉など、保守陣営が強力に推進しているイデオロギーであるということです。

さて、「人々の自由を尊重するんだったら、政府は人々の経済活動に介入すべきじゃない」というのも立派なリベラリズムではあるけれども、実は別の考え方もできます。すなわち「経済活動を自由放任でやっていたら貧富の格差が拡大して、貧しい層は実質的に自由がなくなってしまう。だからある程度政府の介入が必要だ」という考え方です。これを古典リベラリズムに対し、ニューリベラリズムと言います(なんてややこしい!)。現在「リベラリズム」と言われているものはこのニューリベラリズムをふつう指します。ネオ-リベラリズムはニューリベラリズムの後に出てきた、古典リベラリズムのリバイバルです。ああややこしい。

ニューリベラリズム(あるいは単にリベラリズム)は、「人々がなるべく同じぐらいのスタートラインに立てるようなお膳立てを政府がするべきだ、それでこそ人々の自由が保証されるのだ」という考えです。独占禁止法などで競争環境を統制したり、税金で福祉事業を行ったり、医療を保証したり、生活の根幹に関わる事業を国営にすることに肯定的な考え方です。この考えを極端に進めると、資本主義の否定につながり、共産主義へと繋がるわけですが、まあ共産主義はすでに歴史が否定しているのでおいておきます。リベラリストに資本主義を否定する人は少数派でしょう。どうも日本では「左」の定義が共産主義社会民主主義に偏っているんで、このあたりの認識が修正されると良いなと望んでいる今日この頃です。

書くのが面倒になってきたのでこのへんで。