【な】の政治的立ち位置

突然ですが、3ヶ月も前に書いていた政治イデオロギーの話を蒸し返したいと思います。次に書きたいことの布石となるので。政治イデオロギーについては当時いろいろとぐだぐだと書いてましたが、オレ(【な】)の立ち位置をまだ明言していなかったので、ここでごく簡単に自己分析しておきたいと思います。

9月6日に書いた「右往左往その4:図で見る政治イデオロギー」では、以下のような「単純化されたアメ公好きする」図を示したんですが、

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これより、こう書いた方が分かりやすいなと思いました。↓

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横軸が文化、縦軸が福祉を含めた経済で、「小さな政府」とは、「口出ししない政府」で、「大きな政府」とは、「口出しする政府」ということです。

ということは、「小さな政府(文化)」とは、文化に口出ししない政府であり、「大きな政府(文化)」とは、逆に文化を統制したがる政府です。「小さな政府(経済)」とは、経済活動の自由を重視し、また自分の面倒(年金・保険)は自分でどうにかしろという政府であり、「大きな政府(経済)」とは、カルテルや独占を監視し、福祉を手厚くする政府です。

リベラル対保守という対立は、本来的には文化的な軸の上にあるのですが(リベラル=文化的小さな政府、保守=文化的大きな政府)、アメリカや日本の近年の傾向としては、リベラルが経済的大きな政府(福祉志向)、保守が経済的小さな政府(福祉削減、公共サービス民営化)を志向する傾向があるかと思います。

ただ、経済的に小さな政府を志向するか、大きな政府を志向するかは、本来はリベラルvs.保守の対立には関係がないはずです。つまり、福祉政府を志向する保守があってもおかしくないし、経済的小さな政府を志向するリベラルがあってもおかしくない。事実、自民党は伝統的には、経済的大きな政府を割と良しとする保守政党であった印象があるし、また、リベラリズムは、もともとは経済的にも文化的にも小さな政府を目指すものでありました(古典的リベラリズムリバタリアニズム)。

さて、オレの立ち位置がどこにあるかといえば、オレは「心情的には」リバタリアンなのです。つまり、非福祉志向(経済的小さな政府)かつ、文化の自由尊重主義(文化的小さな政府)。そう、オレは基本的には非労働組合的な人間であり、年金とか保険とかもどうでも良いと思いがちな人間です。かつ、文化は「国」ではなく大衆が作り出すものだという強い信念があります。極論ですが、国は大衆が作った文化を追認しているだけとオレは心のどこかで思っています。追認した「正統文化」を盾に、逆に国が大衆を「正統文化に従え」と迫るのに激しい嫌悪感を感じます。そもそも、「国」は幻想だけれども「大衆」は幻想ではなく実在であり、これは否定しようのない事実ですから。

オレはこういう考えですから、実は小泉にはそれほど反発を感じなかった。小泉は保守だけれども、政策のほとんどは「経済的に小さな政府」を邁進することであったから。小泉の後継の安倍はオレは良く思ってない。安倍がやろうとしているのは、小泉がやり残した「文化的に大きな政府」をつくることだから。

というわけで心情的、理想論的にはリバタリアン(文化・経済ともに小さな政府)なオレですが、現実的には中道派リベラル(文化:小さな政府、経済:大きな政府)です。このあたり、オレのずるいところですが、オレはある意味、自分でもびっくりするほど現実主義者なのです。これは、オレ自身が職場で仕事をするときもそうなのですが、オレは「到底実現しそうにない理想的目標」をゴリ押しすることは決してありません。なぜなら、ゴリ押しすることで無駄なエネルギーと時間を費やしたくないからです。しかし、だからといって敗北主義に陥ることも嫌なんです。じゃあどうするかというと、達成したい目標が10あったとしたら、もっとも実現可能性が高そうな1つか2つの部分に力をそそぎ、残りの、抵抗勢力が大きそうなところをペンディングにして、寝かせておくのです。だから、オレは会議とかでも一通り自分の意見を言って、駄目そうだったら比較的あっさりと引き下がります。長い会議は大嫌いですし。

実は、このあたりの姿勢が安倍にも見られて、そこがまた近親憎悪的にむかつくとこなんだよね。安倍は首相になるまえはものすごくタカ派な言動をとっていたくせに、首相になったとたん、非常に現実主義的に、左右のバランスを考えて行動しています。「おまえはリベラルか!」とツッコミ入れたくなるほどに。とはいえ、オレは安倍の保守思想は噴飯ものの薄っぺらさだと思っているので、支持する気にはまったくなれませんが。

さて、これの「小さな政府」「大きな政府」をからめて、「正しい和食 認証制度問題」(というほどでもないか)について語りたいと思っていたのですが、長くなったのでひとまず筆を置きます。