ミスコンと学祭

あらすじ「東北大学で盛り上がらない大学祭を盛り上げようとミスコンを企画したら社会人学生を中心に女性差別だと反対運動が起こり企画中止となった」

オレはミスコンをやったとしても別にとりたてて害もないと思っているので、特にミスコン反対論者ではありません。女性対する一面的評価基準の助長を促すというマイナス面もあるとも言えるし、一方ではその「一面的評価基準」を積極的に肯定している女性が多いのも事実ですし。まあ、いずれにしても、ミスコン反対運動が起こるというのは民度が高い証拠であり、結構なことです。もともとミスコンなんて時代遅れのアイデアであるし、せめてミスコンとミスタコン(?)をカップリングさせるぐらいの発想はなかったんでしょうかねえ。

さて、それ以前に「そもそも学祭って意味あんの?」という問題提起があります。現在の学祭…いや、少なくとも20年前からそうでしたが、タレント呼んでコンサートやってミスコンやってタコ焼き売って…そんなことやって意味あるのか? しごくもっともな批判です。大体、欧米には学祭などという非合理的なものは存在しない…はず。少なくともアメリカにはない。

じゃ学祭なんてやめてしまったらどうかということですが、これも微妙な問題です。まず、学生にとって学祭はまったく無意味なものでもない。学祭全体を運営するのは相当に大変なことだし、個々の催し物だって(たとえタコ焼き売りでも)それなりの共同活動が要求されるので、他にこういうイベント企画実行の機会がない学生にとってはそれなりに意味のある場ではあると思う。また、販売系以外は採算を考える必要もないので、アイデアがあればそれを仮にでも実現する場として機能しうるし、その意味でも無意味でもない。ちなみにオレの場合、学生時代にバンドやっていたので、しょぼいながらもライブができる学祭は重要なイベントでした。

ようするに、学祭は訪れる者にとってはツマラない物ではあるが、やる側としてはそれなりの意義があるのではないかと。下品な表現でいえばオナニーのようなものなのかと言われれば、まあそんなものですと答えます。でも所詮ハタチ前後の経験浅い人間どものやることです。プロの催し物でもつまらないものが多いのに、素人がやるものにクォリティーは求めるのも酷かも。

さて、「やることに意義があるなら別に盛り上がらなくてもいいじゃん?」とお思いの方もいるかもしれません。でもまあ、大学全体の士気にも間接的に関係のあることですからね。学祭やって人が誰も来なくて閑古鳥…というんじゃ学生の方は「うちの大学ってだめだな…」と思ってしまいますよ。だからくだらなくても、意味なさそな企画でも、やっぱりやるからには盛り上がった方が良いに決まっているわけです。

しかし、学祭近くなると学生の授業に対する集中力が低下するのには困ったものです。ハイ。そこだけが不満。