東北大、「抜群教授」に特別手当 最高月20万円(asahi.com)
東北大学が新年度から、優れた業績をあげた現役教授を「抜群教授」に選び、月給を最高20万円上乗せする。国立大では初めての制度といい、学外から優秀な「頭脳」を獲得するとともにその流出を防ぎ、世界最高水準の大学を目指す。
正式な称号は「ディスティングイッシュトプロフェッサー」。教育や研究、社会貢献などの業績がきわめて顕著で、将来も中心的な役割を果たすことが期待される教授を任命する。学内から推薦を受けた教授の中から、学外の有識者も含む選考委員会が選ぶ。
初年度は学内の約800人の教授から3%にあたる25人を選び、月額10万円を基本に最高20万円の特別手当を支給する。東北大教授の年間の平均給与は1101万円(06年度)なので約1割(最高で約2割)の上乗せになる。任期は3年で再任も可能。
優れた研究成果は所属大学の評価向上につながるため、法人化後の国立大では優秀な研究者の獲得競争が本格化している。東京大は1月、世界的物理学者である村山斉(ひとし)・米カリフォルニア大教授を総長より高給で招き、京都大は昨春、アポトーシス(細胞が自死する現象)の権威、長田重一・大阪大教授を引き抜いた。
2年目以降の「抜群教授」の人数や給料の上乗せ額は1年目の結果をふまえて決める。東北大の北村幸久副学長は「世界最高水準の大学になるために、称号だけでなく給与という具体的な形を示して、質の高い教員を確保したい」と話している。
ちょっと興味深いですね。日本の大学の給料は、大学規定集などに記載されている表の通りに決まっていて、基本的には年功給です。つまり役職につけばその手当は付きますが、教育や研究の業績は一切給与に反映されません。教育や研究に骨身を砕いても砕かなくても給与はまったく同じなわけです。教育や研究に頑張っている人たちは、では何のために頑張っているのかというと、使命感で頑張る人もいれば、「好きだから」頑張る人もいれば、「達成感」が欲しいから頑張る人もいれば、「どうせやるなら人から認められたい」という気持ちで頑張る人もいます。しかし生活のことだけを考えれば、別に頑張る必要はない。頑張る人も頑張らない人も、ボーナス含めて、給与は一定です。
こういう、教育や研究のクォリティーを、雇用主からのインセンティブではなく、雇用される側の「熱意」やら「使命感」に頼るというシステムは、ある意味清廉な、学問の府にふさわしいシステムなのかもしれませんが、本当にそれがベストなのかは当然議論の余地が大いに残されているところであります。
だから、上記の東北大の試みは興味深いです。ただ、たった3%の人の月給をたった(?)10万20万上げるというのは本当に効果あるんかなという気がしないでもありません。なんか理系偏重になりそうな気もするし。
ぼくなんかからすると、年100万でも研究費としてもらった方が嬉しいですが、これも難しい問題で、文系からすると年100万余分にもらえたら喜ぶ人が多いと思いますが、東北大でトップ3%に入るような理系の研究者なら何千万という単位で研究費を政府からゲットしているはずですから、100万なんて誤差でしょう。だから給与上乗せということになったのかな。
ちなみにアメリカの場合どうなっているのかというと、大学によってシステムは違うと思いますが、今回の渡米期間中に元指導教官にいろいろ聞いたところ、ハー大では学鳥が教員全員の給与決定権を持っているそうです。それもすごいよな。日本では考えられない権力です。ということで、給与は個々人が学鳥と直接交渉して決めるそうで、誰がいくらもらっているかは、教員間ではタブーの話題だそうです。すごいなあ。
それを考えると、東北大のシステムはかわいいもので、悪く言えば「ほんまに効果が臨めるんやろか」という感じの制度ですね。うーん。それに、東北大の場合おそらく誰が選抜されたか公表せざるをえないだろうし、そうすると頑張って成果も出したのに選から漏れた人が腐りそうです。もしぼくがそういう立場になったらやっぱり不愉快に思うかも。アメリカのように誰がいくらもらっているかが「極秘」ならまだ良いのですが。
最後に、「正式な称号は『ディスティングイッシュトプロフェッサー』」って、なんでカタカナなわけ? 日本語化してない言葉を無闇にカタカナにして輸入するのはやめてくれ。