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ホワイトカラーエグゼンプションは「希望の国」をつくるか?

「Feel in my bones」権力を安定的なものと考えたがる日本人

お上を信頼し、保護される一方、お上の都合で振り回されるのが半ば仕方のないこと、運命だとあきらめている日本人と対等に交渉しお互いに納得して妥結したり決裂したりするアメリカの交渉文化というものの違いは日本人のウェットな部分とあいまってなかなかその違いを埋めるのは難しいことかもしれないと思った。

同感です。歴史的に、日本では「市民革命」またはそれに類することが一度もなかったことも影響しているでしょうし、それ以前に外敵に攻め込まれることがほとんどなかったがゆえに、「多少の理不尽を飲んでもお上に従順になる」という構図がずっと維持されたとも考えられるかもしれません。

その根がどこにあるかはともかく、kous37さんのおっしゃる「お上を信頼し、保護される一方、お上の都合で振り回されるのが半ば仕方のないこと、運命だとあきらめている日本人」の前提部分、「お上[に]保護される一方」という構図は崩れるかもしれません。ネオコンネオリベ*1、どちらでも良いですが、安倍政権、そしてそれとがっぷり四つに組んだ御手洗経団連が目指すものはそこですから。民営化の波、成果主義の導入、ホワイトカラーエグゼンプションの導入、それから厚生・福祉の縮小といった政策は、「もはやお上は保護しませんよ」というはっきりした意思表示のあらわれです。

オレ自身は理想論的にはリバタリアンですので、理想論的にはこの方向性に賛成です。しかし、昨今の政府の改革の動きを見ていると、「ちょっと待てよ」との思いを禁じ得ません。

日本の保守は伝統的に大きな政府を目指して来たと言えると思いますが、それも、「お上を信頼し、保護される一方、お上の都合で振り回されるのが半ば仕方のないこと、運命だとあきらめている」という伝統的な社会構造に立ってのことだったと思います。つまり、「多少理不尽でもあきらめてお上に従う」の裏返しとして、「お上が下々を保護する」のは伝統的に当然の構図だったわけです。ただ、長年続いた大きな政府の弊害が色々と出て来たのは事実で、だからオレ自身は「構造改革」支持派だったし、小泉が出て来たときも、基本的にその方向性には賛成できました。

しかし、ここへ来て、なんだか怪しげなことになっているなという不安感を感じます。小泉政権は自民党内外と「戦う政権」でしたが、安倍政権は自民党の安定多数を背景に経済界とつるんで「多少理不尽でもなし崩しに決めてしまおう」という感じがするんですね。

オレが特に問題だと思うのは、kous37さんのおっしゃる後半部分「お上の都合で振り回されるのが半ば仕方のないこと、運命だとあきらめている」という構図を残したまま、「お上を信頼し、保護される一方」という前提部分を崩してしまおうとするやり方です。kous37さんも指摘される通り、日本とアメリカでは、雇用される側の権利の強さが違う。あるいは意識が違う。もともと「従順で楯突くことのない」「交渉をゲームと捉えるほどのドライさもしたたかさもない」日本の被雇用者は、お上の「保護」を突然なくされてもなす術もなく途方にくれるだけではないだろうかということです。

例えば、ホワイトカラーエグゼンプション。「自由裁量」で仕事がなされる場合、残業手当をなくすという制度です。今でも管理職は残業代がないと思いますが、それを「管理職に準ずる立場」にも拡大しようとする動きです。

しかし、「お上に楯突かない」のが美徳だとされる日本企業の現場でちゃんとした意味での「自由裁量」はあるのだろうか。また、雇用する側に「おまえは実質自由裁量だから残業代なしね」と一方的に決めつけられて泣き寝入りという事態は生じないだろうか。

被雇用者が理不尽な扱いを受けたときに取れる手っ取り早い手としては、「転職する」という手があるでしょう。しかし、近年転職がしやすくなったとはいえ、やはりアメリカほどにはこの「被雇用者の武器」は確立していない。男女の壁もあるし、年齢差別もある。特に、年功序列の名残である「年齢差別」という点は非常に問題で、男性であっても転職のチャンスは年齢という条件によって厳しく制約されているわけです。

そんな状況で、「お上」が梯子をはずすようなことばかりやったとしても、目に浮かぶのは「希望の国」ではなく、「地獄絵図」であるような気がするのは考え過ぎでしょうか?

とりあえず、ネオコン/ネオリベの皆さん、ホワイトカラーエグゼンプションだ成果主義だと言うんだったら、雇用における年齢差別の撤廃、既卒差別の撤廃など、被雇用者の流動性をもっとちゃんと保証するシステムをつくってくださいよ。今のままだったら御手洗の言う「希望の国 日本」とは「経営側が好き勝手できる国」ではないかと揶揄されても仕方ないだろうと思います。

*1:ネオコンは経済的には小さな政府、文化・社会的には大きな政府をめざす立場。さらに、対外的に民主主義・自由主義を積極的に拡大しようという姿勢を含むことがあります。ネオリベ新自由主義)は、ネオコンから対外路線を引いたもの。経済的に大きな政府をめざすモダン・リベラリズム自由主義)と対比される。しかし、ネオといいつつその立場は結局古典的リベラリズムリバタリアニズム)に戻っているわけであります。ただ、ネオリベは文化的大きな政府(保守)を良しとする場合が多く(たぶん)、文化的小さな政府(リベラル)を強く目指すリバタリアニズムとは対立します。→[http://d.hatena.ne.jp/ultravisitor/20061210#p1:title=参考「【な】の政治的立ち位置」]