毎年同じ授業をするのは悪いことか?

そうそう、シラバスに関連して思ったことがあります。よく「毎年同じ授業をする」ことが悪であるように言われますよね。ついこの間、だんたいこうしょうなるものをやったときも経営側がそういうようなことを前提で発言してました。

でも、オレはそうは思わないんですよね。もし完璧に完成された授業ならば、毎年同じでも一向に構わないはず。むしろ、カリキュラム構成を考えれば、講義名が同じである限り内容が一定であるのはむしろ理屈に合っている。学生から高い評価を受ける授業である限り毎年同じで何の問題もない。(ちなみに他でも大体そうだと思うけど、うちの大学では原則的に単位をとった授業は二度と履修できないので「毎年同じだから」という理由で学生が飽きるということはない。)

もちろん、「毎年同じ授業をするのは悪」と言う人はそういう意味で言っているわけではなく、「退屈な授業を改善努力せずに惰性で続けるのは悪」という意味なんだと思います。かつて「毎年同じ講義ノートで授業する」のが「退屈な講義」の代名詞となっていた時代もあったぐらいですし。

ただ、個人的には、大人数講義科目については、もう改善するところがないという域に達することを目標にやっているので、「同じ授業を毎年やるのは悪」と言われると心情的にその目標自体を否定されたような気分になって軽くムカつくんだよね。てゆうか、「同じ授業を毎年やるのは悪」という考え方自体がもう古い考え方だと思う。

シラバスの話にもつながるんだけど、学期の始まる何か月も前にシラバス(らしきもの)を書ける授業というのはある程度前年度までの蓄積によって煮詰められている授業だと思うんだよね。煮詰められて内容が固まってくるのは決して悪いことじゃない。もちろん完成度が高いというのが前提ですが。

まあ、実際問題としては「毎年同じ」にできるほど完成度が高まることはまずないんですが。学界の動向で内容を変えなければならないこともあるし、時事トレンドも移り変わるし、学生の気質も変わっていくし、何よりも、あまりに同じだと教える方が飽きる。オレ自身、テンション重視型の教え手なので、「飽きる」というのはもっとも危険なファクターなんだな。だから、現実には「毎年同じ」なることはないんですが、しかし理論的には「毎年同じ」にできることを目標にするのはむしろ推奨すべきことであるとさえ思いますね、オレは。